53歳責任世代が浦添市の新しい明日を創る! 松本哲治「百花繚乱日記」ブログ

まつもとてつじのドタバタ市長奮闘記

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Posted by TI-DA at 

沖縄タイムス「論壇」

去る8月7日のまよなかしんや氏への返答をタイムス紙が掲載してくれました。こちらでも読めるようにアップしておきます。写真では読めないと思いますので、原文を掲載しておきます。少し長いですが、どうぞお読み下さい。





「県政与党側に要望 先決」
「軍港」移設 必要性の議論

 7日「論壇」に掲載された、一坪反戦地主会浦添ブロック事務局長のまよなかしんや氏からの投稿へのお返事をさせて頂きます。

 まず始めに、1999年発足以来、浦添新軍港建設阻止の闘いを展開してきた貴団体の活動に対し深く敬意を表します。投稿内容としては、①懇話会では那覇軍港浦添移設の必要性を先に議論すべき、②県知事、那覇市長、浦添市長の三者面談で移設断念と決めるべきーの2点であると理解しました。そのご提言に対して、これまで浦添市議会の場でも表明してきた私の認識をここでも示しておきます。

 両点における共通する私の認識としては「時期を失してしまったのではないか」ということです。まず、翁長県知事も城間那覇市長も既に公式な見解として那覇軍港浦添移設の「容認」を明言しており、また、翁長県知事が管理者である那覇港管理組合も軍港移設を前提とした移設協議会へ参加し議論が既に進行しております。現時点において、①のそもそも論を唱えたり、②移設断念を訴えることは、沖縄の過重な基地負担軽減となる那覇軍港の早期返還が求められている現状において、逆に基地の固定化や返還の遅延化を招きかねません。

 近年にも移設阻止のチャンスは数回ありました。まず、私が初当選した2013年2月の段階では翁長那覇市長(当時)の「浦添移設とは切り離した単独先行返還論」が県内他紙にて大きく報道されており、その時に一気に県内移設なき返還を実現すべく協議を持ち掛けましたが残念ながら実現には至りませんでした。また、2014年11月に行われた県知事選挙においても移設容認を公言した翁長県知事が圧倒的な民意のもと、軍港移設反対を訴える候補者を大差で破っております。更には、今年の2月に行われた浦添市長選挙においても、私からの再三の要請にもかかわらず、公約として軍港反対を明確に掲げる候補者は立候補さえできずに現在に至っております。

 浦添新軍港建設阻止を実現するためには、集会や大会で反対の声を上げるだけでなく、実効性のあるアクションを、効果的なタイミングで、真の決定権者に対して行うことが大切であり、時期を失すれば手遅れになってしまいます。従って、一坪反戦地主会とオール沖縄関係者、県政与党県会議員等のみなさまで、軍港移設は本当に必要かどうかを今一度しっかりと議論し、統一見解を公式に発表するよう要望することがまずは先決であると考えております。


Posted by 松本哲治 at 2017年08月14日08:18
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遂に実現、翁長県知事との面談

昨日⒏月3日、遂に翁長県知事との面談が実現した。
実に、私が市長に当選して4年と半年、やっとじっくりと協議して頂ける時間を設けて頂いた。

県庁、応接室にて、翁長県知事と二人だけで意見交換を行った。
秘書もメモ取りも記者も外して、完全クローズで二人だけで協議を行った。
協議内容をここで明らかにすることは出来ないが、
予定30分であったが、いろいろなことを話し合ううちに約1時間となってしまった。
はやり意見や見解が異なる場合もあり、激しくなりかけた場面もあったが、
終止、冷静に意見交換をすることが出来たと思う。

報道にもあるように、当事者の一人でもある城間那覇市長がいない協議の場で、
直接影響のある政策論議は相応しくないだろうということで、西海岸開発の方向性について
の意見交換はなかったが、那覇軍港の浦添移設に関してのこれまでの経緯や考え方、
そして、見解の相違から誤解にいたるまで、ある程度突っ込んだ協議が出来たのではないか。
何はともあれ、まずは第1歩を踏み出すことが出来たと認識している。

今回の会談を通して確認したことは、
①次回、城間那覇市長を含めた三者協議を早急かつ速やかに開催すること
②お互いの違いを認めつつも、浦添市と沖縄県の未来に資する建設的な議論を進めること

時代は大きく変わろうとしている。
世界は、より大きく、より早く、そして、より複雑に変わろうとしている。
そんなダイナミックなうねりの真ん中で、沖縄はどこに進むのか。
そんな時流の今、政治は何を語れるのか。
今回の初会談は、そのスタートに過ぎない。

次回の三者協議が楽しみである。



Posted by 松本哲治 at 2017年08月04日09:18
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