› 53歳責任世代が浦添市の新しい明日を創る! 松本哲治「百花繚乱日記」ブログ › 2015年06月
新・三方よし!プロジェクト
浦添市でもプレミアム商品券の応募受付が始まります。
簡単に言えば、このプレミアム商品券とは、政府が主導で行っている緊急経済対策の交付金を活用して、地方(地域)の経済振興や景気対策である。国がお金を出すので、地域でお金を使って、地域の景気が良くして下さい、という政策である。
浦添市の場合、二十歳以上の浦添市民なら誰でも応募でき、あくまでも抽選であるが、当たれば一万円で一万四千円分の商品券と交換できるというもの。
詳細は長くなるので、浦添市のホームページでご覧下さい。
ホームページはここをクリック!
しかし、私は今回、このプレミアム商品券制度を活用した一つのアイディアを提案したい。
それは、「あなたの幸運を誰かのために!」運動です。
例えば、あなたはある団体に属していて活動を行っているとする。老人会でもPTAでもサークルでも構わない。どんなグループでもいいが(もちろん公序良俗や公共の福祉に反しているグループや犯罪組織や反社会的な団体はダメですよ)、そのメンバーでプレミアム商品券を応募して当たったら、一部を寄付していただくのだ。つまり、あなたの幸運(ラッキー)を地域活動や福祉活動や教育支援等に寄付する運動に繋げるわけです。もちろん、強制は絶対にダメですよ。
このプレミアム商品券、当たれば1万円払って1万4千円分の商品券が手に入るわけだから、例えばプレミアム分4千円のうち半分の2千円分の商品券を団体で集めて当たった個人のためではなく、賛同した活動資金に充てる、という仕組みはどうだろうか。
一例を挙げると、例えば部活の保護者会で呼びかけてみんなで応募して、当たったらその一部を部活の遠征費や道具の整備に使う、などだ。みんなで知恵を集めれば、ただの全国どこでもやっているプレミアム商品券制度が、もっと面白く、誰かのために、地域のために活用できるようになるだろう。
いい活動してるのに、いつも資金で困っている。そんな団体を応援する意味でも、このプレミアム商品券制度をうまく活用したいものだ。もちろん団体に属していない方でもOKです。手にしたプレミアム商品券の一部を応援している地域の福祉作業所や地域活動に寄付してもいい。もちろん、堂々と自分のために使ってもOKです(当選者名は発表しないのでご安心を)。
早速、みんなに呼びかけてみませんか、「あなたの幸運を誰かのために!」「みんなでプレミアムを当てて、地域の活動に使いましょう!」「一人のプレミアムがみんなのプレミアムへ!」と。
当たったあなたも喜び、お店も喜び、そして、地域の誰かも喜ぶ。そんな新・三方よしを目指しましょう!私たち浦添市から「浦添市・新三方よし!プロジェクト」な仕組みはいかがでしょうか?
再度、大きな声で言っておきますけど、絶対に強制はダメですよ! あくまでも善意と奉仕精神に基づいた活動でなければなりませんよ。そこはそれぞれの団体やグループ内でしっかりと責任を持って、説明と承諾を得て下さいね。
二つの公約
6月17日沖縄タイムス紙の記事について解説をしておきます。
那覇軍港の浦添移設に関する過去の経緯を理解していないと、
なかなか複雑で分かりにくい展開になってしまっていますので、
初めての方はこちらをクリックしてご参照下さい。
約2年前の浦添市長選挙時においては、私は当時の翁長前那覇市長と連携して、浦添への軍港移設はせずに、無条件返還を目指す予定でした。
しかし、その後、政治状況は180度大転換をいたします。
辺野古への移設に反対している翁長氏が昨年の県知事選挙において、SACO合意を尊重し那覇軍港を浦添へ計画通り移設することを公言します。(この点についてはなかなか県内メディアでは大きく報道されず、未だに知らない県民も多数存在しています)
その公約を承知の上でオール沖縄のみなさんは支持をしています。そして、浦添市でも多くの市民の信託を受けて当選を果たし、浦添への那覇軍港移設計画推進の県知事が誕生します。そして現在、翁長県知事はその公約通り、那覇軍港の浦添移設を進めている、という状況です。
つまり、
私の浦添市長選挙時の公約(移設反対)と
翁長氏の県知事選挙時の公約(移設推進)と
全く方向性が逆の二つの公約が
同じ街で同じ時期に成立してしまったのです。
ところが、浦添市西海岸開発事業においては、沖縄県と那覇市と浦添市は連携協力して行かなければなりません。
つまり、相異なる二つの公約の整合性を満たすためには、
①浦添市長が公約を撤回するのか、
②県知事が公約を撤回するのか、
のどちらかしか方法はありません。
公約は大切な有権者との約束ですので、遵守することは、言うまでもなく浦添市長にとっても県知事にとっても基本的なことであります。
しかし、今現在発生している状況は、私が公約を守り、公約の実現(移設の阻止)を目指すことは、
同時に翁長県知事に対して「(移設推進の)公約を破り、違反せよ」と要求することになります。
私の公約を守るために、知事に公約を破れと求める。
私の公約見直しは公約違反だと強く批判しながら、翁長県知事には「公約の見直しを求める」人もいるくらい、なんとも複雑怪奇な政治状況が発生しているのです。
2年前の浦添市長選挙時と現在とで、浦添市西海岸開発を巡る政治的な環境が大きく変化していると、再三申し上げてきたのはこのことです。
今回の公約撤回は、このように180度真逆に変化してしまった政治的環境の激変の中で決定された、異例中の異例な事例だと私は認識しています。
この判断に対して、「責任転嫁だ!」「知事のせいにするな!」との声があります。しかし、あくまでも責任転嫁でもなんでもなく、
浦添市長選挙時の「浦添へは移設せず、無条件返還を求める」
↓
現在の「SACO合意を尊重する(計画通り浦添へ移設する)」
という劇的な政治環境の変化への対応と、私は解釈しております。
ただ自己の主義主張もなく政治的環境変化に流されたというわけでもありません。2年間悩み抜いた挙げ句、私は総合的かつ全体的な観点から、やはり私が公約を見直した方が浦添市と沖縄県全体の双方にとってプラスになると判断した次第です。
ご理解頂けると幸いです。
よろしければ、シェア・拡散お願いいたします。
平和について
広報うらそえ紙のコラム「ハイサイ、こちら市長室!」より
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
「平和について」
今年は、終戦から七十年の節目の年です。慰霊の日を迎える六月はどこにいても戦争や平和について考えてしまいます。大好きなタコライスを食べている時も、風呂上りの娘たちの髪を乾かしている時も、ライカムへと続く長い渋滞の中でも、この島の豊かさと平和に思わず感謝してしまいます。
「今、幸せだと思える人は、この幸せが誰によってどのようにもたらされたのかを考える。
今、不幸だと感じている人は、誰のせいで不幸になっているのかを考える」
という話を聴いたことがあります。私は幸せ者なので、今の沖縄や日本を築いてくれた先人たちに感謝しています。私たちの日本は戦後七十年間、戦争を経験することなく平和に暮らしてきました。これは憲法九条のお陰であり、日米安保条約や、自衛隊、在日米軍も、一定の役割を担ってきたのでしょう。いろいろな見解があるでしょうが、結果がそうであった以上、これまで行われてきた様々な政策判断は基本的には正しかったのだろうと考えています。
だからと言って、これからもずっとこのままでいいとは考えていません。平和とは何となく存在するものではなく、私たちの不断の努力によって維持されていくものだと思います。また、戦争も否応なく巻き込まれていくものではなく、国民の強い意志によって回避されていくべきものです。
戦争とは、異なる意見の相手との問題を武力で解決する手段とされています。ならば、非戦の誓いとは、そんな相手との対話を繰り返していくことであり、双方が納得できる妥協点を見つける作業を辛抱強く行うことです。そして、時には多少の譲歩もしながら粘り強く、決して折れることなく継続することが出来る、しなやかな賢さを身につけていくことなのだと思います。
それは決して政治家や外交官だけに求められているものではなく、私たちの普通の生活の中でも求められています。
まずは身近なところから、対立よりも対話を。
その延長線上に世界平和が繋がっていくと思うのです。