53歳責任世代が浦添市の新しい明日を創る! 松本哲治「百花繚乱日記」ブログ

まつもとてつじのドタバタ市長奮闘記

アメリカ太平洋軍司令部へ

また、またご無沙汰しています。

昨日、僕の最後のプレゼンが終了しました。
さすがに一睡もせずに準備したのは久しぶりです。

それほど大変だったと言うよりも、
考えれば考えるほどまとまらなくなって、
気がつくと朝だったというわけ。

しかし、何とかまとめてみんなの前で話しました。

タイトルは
「My last lecture 最後の授業」

沖縄の歴史、
現在抱える課題、
これから僕らが果たさなければならない責任、
このプログラムから学んだこと、
みんなでシェアしたい哲学、
最後にサンキュー・スピーチ

これで最大の山場は越えました。
後は残されたスケジュールを淡々とこなしていくだけです。

別れの日が近づいてくる寂しさも
みんな感じ始めている今日この頃です。


さて、それでもハードスケジュールは続きます。

今日は午前中に来年ハワイで予定されている
APEC会議の準備委員会とのミーティング。
今年は先日の横浜でしたね。
結構うちのメンバーも関係者として参加する予定です。

午後はアメリカ太平洋軍司令部を訪ねます。
英語ではPACOM (Pacific Command)
ペイコム
と呼ばれています。
アジアを含む広大な地域を管轄する司令部で、
もちろん在日米軍も、在沖米軍も
この司令部の下に所属しています。
その司令部がこのホノルルにあるのです。

もちろんセキュリティーは厳重で、
携帯電話、デジカメなどの電子機器は
一切持ち込めない上に、
ハワイ発行のIDか、パスポートを
必ず持参するよう強く言われています。

ここもなかなか個人では
訪ねることのできない場所なので、
いろんな意味で楽しみです。

(このプログラムでは、ワシントンDCでも、
NYでも、中国でも、ここハワイでも、たくさんの
そんな個人では行けない場所に行かせて頂いた。
本当に感謝してます!)

時間ですので、行ってきま~す。


Posted by 松本哲治 at 2010年12月08日   06:05
Comments( 2 )
この記事へのコメント
うちの父親は1941年12月2日生まれ、8日から太平洋戦争が開戦しました。
そちらは次男坊とのことですが、ご両親も同年代だったりして。
今やハワイは日本人ばかりで、どこでも日本語が通じる話を聞きますが
悪いことをしたあとというのはいつまでも残ることはやはり現地に行った人でないと、わからないものですね。
そうそう私が沖縄に移住するに当たっての作戦も
「日本軍が真珠湾を攻撃して、太平洋戦争が開戦したのとそっくりだ。」と
父親は言うのですが。
そういう話も参考にしてみたいですか?
Posted by 背番号のないエース at 2010年12月09日 19:02
松本さん、あっという間に半年ですね~。
お疲れさまです。
「後ろ姿」という少し前の記事について私にも
同じように思った経験があったのでコメントしました。

私はダイビングでパラオに行った時に
やはり雑用というか、掃除をする人が
フィリピン人でした。パラオ人と一見見分けが
つかなかったのですが、数日一緒にいて
話してみると家族をフィリピンに残し出稼ぎに来ていて
年齢は22歳~3歳。
その時の私らを同い年くらいでびっくりしたのを覚えてます。

安い賃金なのでなかなか帰れないということでした。
黙々と働く彼の姿に一緒に旅行に行った仲間も
何かを感じたと思います。


日本にいると麻痺しちゃって実感できにくいものですが
海外にいくと自分の置かれている状況に不満があっても
大抵の日本人がだいぶ恵まれているというのを
自覚するんじゃないかなぁと思いました。
Posted by kate at 2010年12月11日 09:25
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
[公開]
[非公開]
※管理人のみ管理画面から確認することができます。
[公開]
[公開]
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。