53歳責任世代が浦添市の新しい明日を創る! 松本哲治「百花繚乱日記」ブログ

まつもとてつじのドタバタ市長奮闘記
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どっちのゼロを選びますか?

A, 誰もがいつでも安心して子どもを預けることができる「待機児童ゼロ」

B, 子育てを社会全体で応援して安心して子どもが産める「幼児教育・保育費用ゼロ」

どちらも魅力的だし、今後の少子高齢社会を考えると必至の政策なのでAB同時実施がベストなことは誰も異論はありません。しかし、共に大きな財源を必要とするためAB両方の同時実施が無理なら、AとB、あなたならどちらを先行させるべきだと考えますか?

私は個人的にはAを実現してからBへ着手が良いと思っていましたし、今でもそう思っています。なぜなら、Bを先に実現してしまうと、A実現が遠のいてしまうかもしれないからです。しかし、政府は今回Bを先行させることを選択し、可決となりました。

個人的な意見としては、私は今年の10月に予定されている消費税率10%にも反対です、その理由や説明は今回省きますが。しかし、今回の「幼児教育・保育無償化」は消費税アップと完全にリンクされているセット政策でもあり、恐らく予定通り消費税はアップされるだろうと私は見ています。

個人的には反対でも、全体として決定されて現実として動き出したのなら、いつまでもグズグズとごねて抵抗していてもどうしようもありません。特に行政を担う立場の市長なら、それならと早目に頭を切り替えて準備を始め、問題を出来るだけ最小化し、よりベターな方向へと状況転換していくのが「仕事」だと考えています。

「災い転じて福となった」未来を想像して目の前の判断をこなしていかなければなりません。

いろいろ課題山積ですが、こんな心持ちで一つ一つ頑張っていきます😢




  

Posted by 松本哲治 at 2019年05月12日 00:47
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対話なくして前進なし

またまた直接協議の場が遠のきつつあります。
意見や考え方が違う者同志が、それでも協力と前進を模索するために話し合うのです。
玉城デニー知事、是非、お願いします!


  

Posted by 松本哲治 at 2019年05月11日 00:15
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令和の幕開け

コラム「ハイサイこちら市長室」5月号より

「令和」の幕開け

 いよいよ今月から新元号「令和」が始まります。私は昭和42年生まれですから、21歳の時に平成元年を迎え、そして、51歳で令和元年を迎えます。平成は約30年ありましたが、令和も仮に30年続くとすれば、次の時代を迎えるのは私が80歳を超えた頃になるというわけです。

 理由は良くわからないのですが、私はなぜかこの「令和」時代をとてもワクワクした晴れやかな気分で迎えています。新元号名「令和」発表の数日を透き通るような青空が続く、美しいソメイヨシノが満開の東京で過ごしたからでしょうか。それとも「令和」という日本語の響きに、爽やかで凛とした、それでいて穏やかな落ち着きを感じたからでしょうか。いずれにせよ、争いのない、静かな調和のとれた時代を、みんなで和をもって築いていきたいと感じています。

 我が国において、平成の時代はその名とはおよそ異なり、戦争こそありませんでしたが、大きな自然災害や長い経済不況など、重苦しく多難な時代でもありました。そして、来たる令和の時代も決して平坦で安易なものにはならないだろうと予測します。引き続き日本社会は少子高齢化のため働き手不足はより深刻になり、世界のボーダーレス化が進行すると同時に、AIとロボットが本格的に登場してきます。日本を取り巻く国際環境も複雑化し、世界はますます混沌として視界不良です。

それでも私は未来を悲観しないと決めています。日本の可能性も沖縄の底力も信じています。とりわけ浦添の未来には大きな希望を抱いていて、令和時代は浦添時代!とまで信じ込んでいます(笑)。大変動の時代を市民と共に生き抜き、さまざまな難局をみんなで乗り越えて温かな美しい光あふれる和の時代「令和」となることを信じています。昭和生まれの一人として、怯むことなく、恐れることなく、油断することなく、時代の中心を担うであろう平成生まれのみなさんと心と力を合わせて、令和生まれの子ども達へ素敵な未来を引き継いでいきましょう。  

Posted by 松本哲治 at 2019年05月06日 18:47
Comments(0)はいさい、こちら市長室

那覇軍港浦添移設に伴うお願い

こちらでもリンクしておきます。沖縄全県民の皆様へのお願いですので、より多くの方がご覧になって頂けると幸いです。

那覇軍港の浦添移設問題に関してよくご存じない方は、このブログの過去の投稿からもいろいろ経緯や背景を振り返ることが出来ますので、これを機会にご覧になって頂くことをお勧めいたします。どうぞ、よろしくお願いします。


  

Posted by 松本哲治 at 2019年04月27日 14:06
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全ての沖縄県民のみなさまへ

県知事と那覇市長に手渡してきた要望書をこちらにも残しておきます。

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要 望 書

 本日、玉城県知事、城間那覇市長、私・浦添市長三者により那覇港湾施設(通称・那覇軍港)の浦添移設を推進することを確認・合意いたしました。これにより、これまで停滞していた那覇軍港浦添移設計画が進展していくものと期待しております。

 言うまでもなく、我々浦添市民にとっては、浦添市に新たな米軍施設が誕生する事も、それが美しい浦添西海岸の埋立てによって行われる事も決して喜ばしく歓迎できるものでもありません。しかしながら、沖縄県と那覇市の発展および基地負担軽減のために、浦添市が苦渋の決断として那覇の軍港受入を改めて受忍するわけであります。

 浦添市民にとっての真の不幸は、新たな軍港が浦添市に誕生する事でも、美しい海が埋立てられる事でもありません。本当に悲しい不幸は、この那覇軍港受け入れという浦添にとっての苦渋の重さを多くの県民や特に那覇市の皆様に認識してもらえていない事なのです。

 私はこれまで那覇市民から
「那覇の軍港を引き受けてくれて感謝している」
「美しい海の埋立てをお願いして申し訳ない」
「那覇市が出来る事なら何でも協力する」
などの温かい言葉を聞いたことがほとんどありません。

 むしろ、
「前の浦添市長が認めたのだ」
「以前から決まっている計画に今になってケチ付けるな」
「その分だけ国からお金を貰っているだろ」
などの心ない言葉を浴びせられ、

 挙げ句の果てには
「嫌なら反対すればいい」
などと一方的で見下すような上から目線の発言を何度も聞かされてきました。

 そんな心ない言葉を聞く度に私は
「甘えているのは浦添市の方ですか、それとも、沖縄県や那覇市の方ですか?」
と叫びたくなるのです。

 今回を期に多くの方にお伝えしたい事は、浦添市の苦悩や悲しみにも思いを寄せて欲しいということです。那覇軍港の浦添移設について断固拒否するつもりも反対闘争をするつもりも現在ございません。沖縄県と那覇市の基地負担を軽減し、基地問題を巡りこれ以上の混迷をもたらす事を回避するためなら、浦添市側が苦渋の決断として那覇軍港の受入先となることも仕方がないのではないか、そう覚悟しているからです。だからこそ、浦添市民の苦悩にも思いを寄せて、言葉だけではない真の思いやりと優しさを持って、浦添の民意に寄り添い尊重して頂けることを切に願うばかりです。

 全ての沖縄県民と、とりわけ那覇市民のみなさまに、浦添市に対しての温かいご理解とご協力を賜ります事を心からお願い申し上げます。

2019年3月13日 浦添市長 松本哲治

  

Posted by 松本哲治 at 2019年03月13日 21:18
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十勝ワイン物語

十勝ワイン物語

 昨年末に販売した浦添の桑の実ワイン「ミュール・ドゥ・ソレイユ」。実はこのワイン、北海道池田町の十勝ワインさんに製造していただいている。そのお礼に去る2月、氷点下11度で見渡す限り白銀の北海道を訪ねた。
 今ではすっかり有名な十勝ワインであるが、1950年代には十勝沖地震とその後連続した冷害による凶作は池田町に壊滅的な被害をもたらした。この逆境の下、当時の町長が自生する野生の山ぶどうをヒントに1960年に大きな賭けに打って出る。町長発案で、素人役場職員と地元の農家とでブドウ栽培と町営ワイン醸造という壮大な挑戦に着手したのだった。元々この十勝地方は冬期の極低温と乾燥から通常の栽培方法ではぶどう樹が枯死してしまうため、ぶどう栽培には適さない土地とされ、何度も失敗と挫折を繰り返す。旗振り役の丸谷町長は「ほら吹き町長」と批判され、自宅前には枯れたぶどう樹が山のように捨てられたとの逸話も残っている。
 それでも職員をヨーロッパへ派遣して学ばせ、寒冷地に適したぶどうの品種改良と研究を続けた結果、2万種を超える交配種の中から奇跡的な突然変異がもたらした2品種を生み出し、50年もの試行錯誤を繰り返しながら現在は池田町を支える基幹産業へと大きく成長し、NHKのプロジェクトXでも取り上げられている。
 今回の訪問では、真っ白な雪で覆われたぶどう畑から、ワイン樽が並ぶ醸造所やワイナリー、歴史を物語るビンテージワインが並ぶ地下貯蔵庫など、醸造研究に関わる池田町職員が自ら丁寧に説明をしてくださった。池田町ではワインだけでなくブランデーも製造しており市場で高い評価を受けている。樽から直接取り出した琥珀色の自慢のブランデーをグラスに注ぎながら、「ここまでのブランデーになるまで30年はかかります。30年前の先輩達の想いがこもったこのブランデーたちに今の私たちは支えられています。だからこそ、30年後の後輩達に叱られない様な仕事をしなくては、といつも心掛けています」と謙虚に話してくれた。その言葉と微笑みには、未来を見つめる公務員としての誇りと確かな腕の職人としての自負心、その両方がにじんでいた。  

Posted by 松本哲治 at 2019年03月11日 06:27
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過ぎたるは・・・

過ぎたるは…

 とある夜更けのこと、急に思い立ってコンビニに立ち寄った。2人の店員が愛想よく対応してくれたが目的の商品があいにく品切れで、隣接する別のコンビニまで足を伸ばした。そのコンビニでも手慣れた若者が丁寧に対応してくれた。別に急いでいたわけでもないが、目的を無事に済ませることが出来て、コンビニがあることの便利さに感謝しつつ、同時に真夜中に働く店員に申し訳ない気持ちにもなった。と言うのも、私以外には他の客はいなかったからだ。偶然その時に別の客がいなかっただけだし、私を健気に待っていてくれたわけでもない。たまたま私一人だったからで、別のお客がいればすまないなどと思わなかったに違いない。
 しかし、帰り際にふと、こんなに便利でいいのだろうか、と気になったのである。今の時代、閉店知らずのコンビニやファストフード店が徒歩圏内に幾つも開いている。道路が空いている真夜中でも、高速道路の料金所では人が働いている。最近ではお正月でさえ営業しているお店も珍しくなくなった。その一方で、あらゆる業界が働き手不足に喘いでいる。
 液体に沸点があるように、利便性にも沸点が存在しないだろうかとふと考える。水が沸騰して気体となって消えていくように、私たちが求める便利さや快適さも度が過ぎればもっと大切な何かを失ってしまわないだろうかと少々不安にもなってきた。乱暴なことを承知のうえで提案すれば、例えば、コンビニ各社で協議して別々に休日を設けるとか、高速道路も夜中は無料開放して無人にするとか、スーパーやレストランもせめて正月三が日くらいはお休みにしても構わないのでは。そうなってもそれなりに柔軟に対応できるしなやかな社会を作っていく我慢と努力を、そろそろ始めなくてはならないのではないか。少し不便になったとしても、多くの人が夜は休み、休日を満喫できる社会も悪くないと思うのだが、いかが
でしょうか。  

Posted by 松本哲治 at 2019年03月11日 06:26
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ミュール・ドゥ・ソレイユ

ミュール・ドゥ・ソレイユ
Mûre de Soleil

 皆さまお待ちかねの新しい特産品が誕生します。なんと私たち浦添市でワインを出すことになりました。浦添の桑の実を使ったワインです。その名も「ミュール・ドゥ・ソレイユ」。フランス語で「太陽の桑の実」を意味していますが、てだこのまち浦添市らしい素敵な名前じゃありませんか。
 今回、開発・販売に3年をかけた極秘(?)プロジェクト「うらそえワイン製造計画」では、浦添市だけでワインを製造することは難しかったので、北海道池田町の十勝ワインに製造を依頼し、シルバー人材センターの皆さんが育てた桑の実と北海道厚真産ハスカップをブレンドして、コラボで作り上げました。また、味を最終的に決定する際には、浦添市内のレストランやバー、ワイン販売をしている15人のプロの方にもご協力をいただき、みんなでテイスティングをして決定いたしました。また、多くの市民に喜んで手に取っていただけるようにネーミングやラベルもいろいろとオシャレに工夫しました。愛着を感じていただけるよう浦添八景をデザインに使用しつつ、同時にローカルな安っぽい地場産品とならないように、歴史と伝統の文化都市にふさわしい気品と風格のある落ち着いたラベルとなっています。
 しかし、残念なことに桑の実の収穫量との関係で大量製造ができず、今回の一般販売用は限定100本のみとなってしまいました。そして、その影響で販売価格もややお高めとなってしまいました。すみません(涙)。でも、逆に希少価値はありますので、毎年、浦添八景を集めてコレクターになるのも悪くありませんね。さぁ、いよいよクリスマスイブに市内一斉販売開始です。この冬は大切な人と浦添の桑の実ワイン「ミュール・ドゥ・ソレイユ」で楽しくてステキな夜を過ごしてみませんか。それでは良いお年を。あっり乾杯!


  

Posted by 松本哲治 at 2019年03月11日 06:24
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秋のてだこまつり

秋のてだこまつり

 いよいよ10月ですね。今月のテーマは何と言っても「てだこまつり」です。皆さまもご存知のように、これまで7月に行われてきたてだこまつりは今年は秋の開催となり、一部先行開催のイベントもありますが、今月26日(金)が前夜祭、そして、まつり本番が27日(土)、28日(日)となっています。これまで「夏休みはてだこまつりから始まる」とまで言われ、夏休み突入後最初の週末がこれまでの定番でした。しかしながら、「暑すぎて子ども達や高齢者には酷である」「食中毒や熱中症が心配だ」「夏休みが始まる開放感から青少年非行を助長しかねない」などの声があったのも実情でした。
 そこで実行委員会の事務局で検討した結果、秋開催に時期を変更してみようとなったのです。決して夏開催を否定したわけではなく、まずはトライしてみて、その結果をみんなで検証してみようではないかということです。これまでの夏開催から秋開催への移行は大きな変更なので、市民への周知やオペレーションに関して不手際やミスが発生するかもしれません。しかしながら、熱中症などの課題を認識していながら、これまでの慣習で夏開催を継続し、問題解決を先送りすることはやめて、反対意見もありますが、「とにかくやってみる!」という実行委員会の判断を尊重することにしました。どうぞ、市民や関係者の皆さまのご理解とご協力をよろしくお願いします。
 さらにこの10月から、てだこまつりの主会場である浦添運動公園も新しく「ANA SPORTS PARK浦添」となりました。ネーミングライツ・パートナーに関してはまた別の機会に改めてご報告しますが、いずれにせよ、新しい「てだこまつり」が始まります。これまでとは全く違うおまつりに急に変わるわけではありませんが、新しい会場名のもとで、時代の変化に合わせて秋のてだこまつりもみんなで一緒に少しずつ創り上げていきましょう!  

Posted by 松本哲治 at 2019年03月11日 06:22
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当山小学校過大規模対策説明会

昨夜、当山小学校の地域交流室「さくらホール」にて、当山小学校過大規模解消に向けた取り組みの進捗状況の説明会を開催した。地域説明会を開催するだけでもいろんなことがあって結構な時間を必要とし、やっとこの日が来たとの思いで参加した。

テーマは主に2つ。まずは過大規模解消の抜本対策となる「分離・新設校建設に向けた候補地選定」について。こちらは複数の候補地の中から最適と思われる候補地についての選定とその理由などが説明された。現段階ではまだ最終決定とは宣言できないものの、このテーマについては大きな異論はなく、概ねご了承頂けるものと受け止めた。



もう一つのテーマは「小中一貫教育」について。こちらはあまり聞き慣れない「小中一貫教育」という教育システムについて、私自ら説明を行った。なぜ異なるテーマである「分離・新設校建設」と「小中一貫教育制度」の説明を今回一緒に行ったのかを書いておく。

まず第一の理由は、まさにこの異なるテーマが混同されて、地域で誤解が生じているためである。前者の「分離・新設」はまさに当山小学校過大規模解消のための抜本策であり、学校と言う施設をどこに作るのかというハード的な問題である。後者の「小中一貫教育」とは「どうせ分離・新設校を作るなら、どんな学校がベストであるか?」を問う、一つの選択肢・オプションの話なのであり、学校の中身・内容というソフト的な問題である。言うまでもなく、ハード的とソフト的と明確に区別できるものではなく、具体的な詳細まで詰めていけば将来的には重なる部分も出ては来るだろうと思う。しかし、今回は聞き慣れない概念である「小中一貫教育」「義務教育学校」とは何か?、そこではどんな教育が行われるのか?、その新しい教育システムの可能性とは?についてもあえて一緒に説明しておいた。

なぜなら物理的にもう一つの学校を作って過大規模を解消するに止まらず、どうせならこの機会に、未来にどんな教育環境を描くのか、新たな教育的チャレンジへのチャンスとも捉えて頂きたいと考えていたからだ。

ところが、一部の人の間で、「分離・新設」を選ぶか、「小中一貫教育」を選ぶのか、二者択一の問題と誤解されていたり、あるいは「小中一貫教育」を取り入れることで「分離・新設」が遅れてしまう、などの誤解が広がっているとのことだった。あるいは「市長が小中一貫教育を持ち出して、分離・新設を邪魔している」などの事実と異なる噂話が市役所にまで寄せられていることから、その誤解を解くために今回、この異なる二つのテーマを敢えて一緒に説明しておくことにした。

「分離・新設」も決して簡単な話ではなく、それなりの時間を要すると思われる。誤解のないように書いておくが、これは今から用地の取得交渉や複数に渡る地権者合意など難しいハードルがあるからであり、どんな内容の学校にするのかという「小中一貫教育」などのテーマとは関係がない。

また同様に、「小中一貫教育の導入」も安易に進むものではないし、いや、進めるべきものでもない。地域の理解と協力がなければ実現できない、いやむしろ、それなくして実現してはいけない教育システムである。地域から望み求められる小中一貫教育でなければ、意味がなく、そもそも成り立たないのである。

第二の理由は、だからこそ「分離・新設」に向けた準備を進めながら同時に、この機会にじっくりと「小中一貫教育」という制度の可能性について、勉強・検討・研究を始めてみようではないか、と言う提案なのである。むしろ「小中一貫教育なんて知らなかった」「その選択肢についてなぜもっと早く教えてくれなかったのか」「あの時から検討しておくべきだったのでは」と後から後悔してもらわないためにも、説明と提案だけは早い方がいいだろう、という判断である。「小中一貫教育」という制度は、実現せずとも、少なくとも検討・提案するには値する選択肢であろう、と判断したわけである。

繰り返しになるが、地域が求めないなら、小中一貫校なんて押し付ける気もないし、強制したところで実現などできっこない。地域や保護者から望まれない学校など作るつもりはないし、作れるわけがない。同時に「そんな学校があるなんて知らなかった」でも、もったいない話なのである。

説明会でも何度も強調したように「分離・新設」と「小中一貫教育」は別の話であると同時に、誤解を解消した上で検討対象には入れておくべき選択肢として、一緒に説明させて頂いた。



喧々諤々な説明会のあとで、ある参加者が去り際に「純粋に教育論争として受け取ってもらえない人がいるから政治って大変だね」とつぶやいていたのが印象的だった。それでも逃げずに向き合い続けるのも政治であり、反対や批判を恐れて提案や対話、議論そのものを避けていては教育の未来はありません。ご要望があれば、どの地域でも説明会を行っていきます。規模・人数の大小や公式・非公式を問わず、お気軽にお声かけ下さい。

  

Posted by 松本哲治 at 2018年11月29日 09:49
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小さな島の大きな分裂

先日、地域の小さな夏祭り会場で考えさせられる体験をした。

地元の市長として参加した私はお祭りの主催者から挨拶を求められた。ごくありふれた日常的な行為である。ところが、その週末は去る8月8日に翁長雄志沖縄県知事が逝去した後、最初の週末であった。そこで、私は挨拶の冒頭で会場のみなさまへ黙祷を呼びかけた。

「私たち県民が選んだ翁長雄志県知事が先日、在職中にお亡くなりになりました。彼の安らかなご冥福を祈り、哀悼の誠を捧げるために少しだけお時間を頂き、ご協力下さい」

そんな趣旨の説明をした後、一分間の黙祷を会場の全員で行った。

ところが、その行為に対してクレームをつける男性が現れた。彼の主張は「沖縄県を混乱させた翁長知事に対して祭りの場で全員に黙祷を強要するとは何事か。頑張っていると評価していたのに、今夜の市長にはがっかりした」とのことだった。「そうでしたか、これは、これは」とその場を誤摩化しながら、次の会場へと向かった。

今度は別の会場でも行った黙祷の後、全く別の男性から全く逆の視点からクレームを受けた。彼の主張は「翁長知事の命を奪ったのは君たちじゃないか。彼と対立してきた君なんかに今頃になって翁長知事の冥福など祈って欲しくない」とのことだった。その場も「そうでしたか、これは、これは」と誤摩化すしかなかった。

それでも、私はその日の晩に回った数カ所の夏祭り会場の全ての挨拶の中で、黙祷を捧げた。実に考えさせられる、“今”の沖縄を象徴する不可解な体験だったとは思うが、私は全員で捧げたあの沈黙の時間を今でも後悔はしていない。いつでも、どこでも、いつまでも行える行為ではないし、彼の死後最初の週末だからこそできた黙祷だったと思う。黙祷の趣旨も前述した内容以上でも以下でもない。

これが今の沖縄なんだな、と少し悲しくもなったが、何よりも、あの日、何十人もの人たちからかけて頂いたあたたかい感謝の言葉が心強かった。

「黙祷よかったよ、ありがとう」
「バタバタしててすっかり(黙祷のこと)忘れてたさぁ、ありがとう」
「彼のこと忘れないようにしないとね、ありがとう」

私たちは不毛な対立感情や極端な思想に引きずられずにしっかりと沖縄としての道を、いや、人としての道を歩いていかなくてはと、締めくくりの花火を見上げながら思った。
  

Posted by 松本哲治 at 2018年08月22日 07:59
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海を見つめて

広報うらそえ4月号「はいさい、こちら市長室」より転載

「海を見つめて」

 去る3月11日、西海岸関連道路の開通を祝う、リレーマラソンとウォークイベントが開催された。どこまでも続く青空と早春らしい爽やかな風が私たちを出迎えてくれた。まるで多くの浦添市民がこの日を心待ちにしていたことを知っていたかのように。

 参加者は約4300人。カーミージー(亀瀬)を中心とした海とイノーのキラキラと光り輝く青のグラデーションに誰もが感激したに違いない。多くの人が足を止めて、私たち浦添の海の美しさに魅了され、ある者は息をのみ、ある者はため息をつき、ある者は亀の姿をした岩に感動の声を上げた。

 また、この日は東日本大震災の発生から7年を迎えた日でもあった。多くの命が失われたこの日にお祝いイベントを開催するのはいかがなものかという声もあったが、逆に参加者全員で黙祷を捧げるという行為を通して、亡き御霊のご冥福を祈り、防災意識を高め、そして、命あることに感謝する機会にしようと考えた。あの透き通るような海と空と風に包まれながら、全員で立ち止まり静かに祈りを捧げることのできたあの瞬間は、本当に美しく鳥肌が立つほどだった。イベント開催にご協力いただいた全ての方とご参加された皆様にこの場を借りて改めて感謝を申し上げたい。

 さて、これから多くの人たちがあの道路を走り、浦添に残された素晴らしい海を目の当たりにすることだろう。カーミージー周辺の海とイノーを守るための新たな里浜条例もできた。大切なのはむしろこれからなのだ。大切な海を破壊する開発はいらない。しかし同時に、反対だけしていても結果的に海は守れない。単純な二者択一では大切なものは守れない時代なのだ。だからこそ私たちには今、創意工夫と知恵と団結と、そして、何よりも覚悟が求められている。

 そんなことを感じた1日だった。


  

Posted by 松本哲治 at 2018年04月15日 23:00
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保育士Okinawaステイ計画

広報うらそえ3月号コラム「はいさい、こちら市長室」より転載

「保育士OKINAWAステイ計画」

 今年も待機児童問題が話題となる季節となった。毎年この季節になると認可保育園に入れなかった子の親からたくさんの声が届き、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。しっかりとその声を受け止めて1日も早く待機児童が0となるように努力していく所存である。

 待機児童問題の一つに保育士不足がある。本市の公立保育所でも保育士が足りないために、保育環境もスペースもあるのに約80名の子ども達を預かることができない状態なのである。そこで、この春から浦添市では思い切って県外から保育士を獲得する策を取った。名付けて「保育士OKINAWAステイ計画」。移住支度金として1人に100万円を準備して家賃も補助することで、10名程度の新たな保育士を県外から確保し、3年間市内の公立保育所で働いていただく計画だ。

 この計画は立案当初から庁内でもかなり議論が行われ、賛成・反対さまざまな意見があり、難しい判断であった。事実、発表以降、ご批判も受けている。例えば、現在働いている保育士の処遇改善が先、潜在保育士の掘り起こしに予算を使うべき、県外からの短期契約保育士に予算を使うな、などである。

 これまでも保育士確保のために賃金等の処遇改善を行い、4年前と比較して月額約6万円アップしてきたが、大幅な保育士確保には繋がらなかった。待機児童解消のために今、現場で最も必要とされているのはズバリ「新たな保育士の確保」である。それならば、同じ保育士不足で悩む県内で争奪戦をするよりも、沖縄の魅力をアピールしながら、県外から募集することにしたのだ。もちろん保育士の処遇改善も掘り起こしも引き続きしっかりと進めていく。

 喫緊の課題である保育士確保は従来通りのやり方では改善は見込めないと判断し、批判や失敗を恐れず思い切った政策の実行を決断した。是非、ご理解いただき、温かい目で応援をお願いします。

  

Posted by 松本哲治 at 2018年04月15日 22:54
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誰もがいく道

広報うらそえ2月号
「誰もがいく道」

 2018年がスタートしてから早いものでひと月が過ぎました。今日から約7年後の2025年には団塊の世代が75歳以上になり、私たち日本社会は大きなピークを迎えます。高齢化率は30%を超えて、人口の3人に1人が高齢者となり、さまざまな課題が指摘されています。

 その現象は介護の2025年問題と呼ばれ、特に深刻なのが介護職員の不足です。現在でさえ人手不足に悩む業界ですが、今後は約38万人もの介護職不足になると推測されているのです。そんな2025年までわずか7年です。本当に目の前、私たちはあっという間にその時を迎えることになるでしょう。

 浦添市でも今から準備できること、すべきことを一つ一つ丁寧に実行していくつもりですが、いずれにせよ、一人でも多くの市民のみなさまに、介護の世界や仕事について理解し関心を持っていただくことがとても重要です。家庭でも職場でも地域でも、介護やケアについて他人事ではなく、当たり前に普通に語られるようになればと願っています。

 幸いなことに、今月、てだこホールで「ケアニン〜あなたでよかった〜」という映画が上映されます。一人の新人介護職員が仕事を通して大きく成長していく物語です。実際に介護の現場で働いている人たちが中心となってストーリーやセリフを組み立てた映画なので、リアルな介護現場で悪戦苦闘しながらも、本当に私たちが目指している世界観を表現している素敵な作品となっています。是非、多くの人に、特に介護や福祉にあまり関心のない人たちをお誘いの上、ご覧いただきたいと考えています。

 私たち浦添市は、誰もが寄り添い支え合うことが当たり前の共生社会を目指しています。みんなで一緒に映画を通して、介護という仕事の素晴らしさや面白さに触れてみませんか?いつかきっと私たちもお世話になるはずですから。




2月21日、22日18:00から、てだこホールにて上映予定!

http://www.care-movie.com  

Posted by 松本哲治 at 2018年02月17日 17:55
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うらそえ福祉のまち元年



広報うらそえ1月号
「うらそえ福祉のまち元年」

 明けましておめでとうございます。

 お正月を迎えるにあたり、新しい年の誓いや目標を掲げる方も多いのではないでしょうか。私も昨年の秋頃からずっと考えてきました。そこで今年から、私は浦添市を「沖縄一優しい福祉のまち」にしていきたいと考えています。これまでも、いや市長になる前からずっと思い描いてきた構想です。なので、あえてこの新年1月号で発表させていただきます。

 まず「沖縄一」については、何もいきなり世界一や日本一を掲げる必要はありません。まずは沖縄県内で「福祉のまちと言えば浦添だよね」と誰もが認めてくれるようなまちにしていきましょう。だからと言って、そこで立ち止まるつもりもなく、次は九州一、そして、いずれは日本一を目指しましょう。

 次に「優しい」とは、どういうことでしょうか。それは、お互いに助け合う、「共生」の考え方です。性別でも、年齢でも、障がいや病気の有無でも、肌の色でも国籍でも、性に対する考え方でも、あらゆる多様性を認め、お互いに尊重し支え合うことが当たり前の社会づくりです。つまり「お互いさま(ゆいまーる)」のまちづくりです。

 そして、最後に「福祉」です。福祉と言うと何らかの救済を必要とする人を助けるという意味でよく使われます。しかし、私が考える「福祉」とは誰もが幸せになれる状態を意味しています。だから、「福祉のまち」とは全ての人がその人らしい幸せを手に入れることを、みんなの力で実現できるまちだと私は定義しています。つまり「誰も置き去りにしないまち」「誰かの幸せを我が喜びとする利他のまち」なのです。

 この「沖縄一優しい福祉のまち」というテーマを中心に置いて全ての政策の優先順位を決めて立案・実行していきます。まずは、力弱き者、声小さき者、命幼き者から始めます。市民のみなさまと一緒に、今年平成30年を「うらそえ福祉のまち元年」にしていきましょう。
  

Posted by 松本哲治 at 2018年02月16日 23:56
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星になったM




「星になったM」

出張中の東京でバタバタと走り回る私の携帯に1通のメールが届いた。

「お久しぶりです。○○日はMの1周忌です。お時間あれば回って来て下さい」

Mちゃんのお母さんからのメールだった。冷たい風が吹く東京永田町の街角でふっと立ち止まり、1年の早さに流れる雲を見上げた。

私がMちゃんと初めて会ったのは約13年前、難病と闘う子ども達の夢を応援する非営利団体メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン(MAWJ)の沖縄ボランティアとしてお手伝いをさせて頂いたのがきっかけだった。

当時6歳だったMちゃんの「家族みんなでディズニーランドに行ってみたい」という夢(ウィッシュ)を叶えるコーディネーターとして彼女が入院している病院を訪ねたのが最初の出会いだった。

病気の詳細を書くことはできないが、非常に稀な難病と闘っていた幼いMちゃんとの初面談で私は強い衝撃を受けた。その病院からの帰り道、「絶対に夢を叶えてあげたい」と心に誓ったのだった。

その後、さまざまな調整や手続きを経て、数々のハードルを乗り越えてその夢は実現し、彼女にとっても家族にとっても、そして、私にとっても忘れられない思い出となった。

その後、彼女は夢を実現した力をもとに長く辛い闘病生活を小さな身体で一生懸命に闘い、そして、昨年の1月末、家族に暖かく見守られながら安らかに天国へと旅立って行った。

1年前のMちゃんの告別式の日、私は目前に迫る2期目の選挙戦の真っ只中だった。ぎゅうぎゅう詰めのスケジュールを無理矢理こじ開けて、高速道路をかっ飛ばして告別式へ向かった。久しぶりの再会。ちょっぴりお姉ちゃんになったMちゃんがニッコリと笑っていたのは遺影の中だった。お線香をあげて手を合わせ、家族へ黙礼をした。参列者の並ぶ中では言葉をかけることもできず、すぐに地元の選挙戦へ戻らねばならなかった。トンボ帰りの高速道路。Mちゃんとの思い出が蘇り涙が溢れて止まなかった。

あれから1年。

久しぶりに声を交わしたご家族はすっかり落ち着いていて、いろいろなMちゃんとの思い出話に花が咲いた。天国へ旅立つ前の写真を見せてもらったが涙をこらえるだけで精一杯だった。どれほど過酷な闘病生活だったかを物語る、言葉を絶する程の壮絶な写真だった。遺影の中の可愛らしい笑顔の裏で、彼女と家族がどんな地獄を見て、どれだけの苦痛に耐えて、どれほどの涙を流してきたかを想像して、帰りの車の中でまた泣いた。

生きていれば今頃19歳。友達と無邪気に戯れ、オシャレを楽しみ、誰かに恋する、かわいい女の子だったに違いない。そうか、来年は成人式だったんだ。私の記憶の中の「かわいい女の子」ではなく、「綺麗なお嬢さん」だったに違いない。やりたいことも叶えたい夢もたくさんあったことだろう。彼女の分まで、彼女に変わって、彼女の夢を背負って、毎日を一生懸命に誰かのために生きていきたいとふっと思った。

彼女はいつも私に、生まれてくること、出会うこと、そして、別れることの意味を問い続けてくれる。今に感謝を忘れず、何事も当たり前に思わず、人の痛みと足るを知る人生を歩んでいきたいと星を見上げた。

「ま つ も と さーん、またきてねー」

星になったMちゃんの懐かしい声が今でも聞こえる。
  

Posted by 松本哲治 at 2018年01月23日 09:37
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翁長県知事、城間那覇市長、お願いします

翁長県知事、城間那覇市長へ、

早目に第3回目の「浦添西海岸開発」並びに「那覇軍港の浦添移設」に関する直接会談のスケジュール調整をお願いします。

前回11月の協議終了時からずっと1月開催のお願いをしておりますが、不思議なことに沖縄県の担当事務方からは「時間がなかなか取れない」「スケジュール調整が難航している」とのお返事ばかりで、全く次回開催の目処が立っておりません。

こんな事態を想定していたからこそ、昨年中からずっと調整をお願いしてきたのに残念です。これまでも時間がないことを理由に開催がずっと先延ばしにされてきた事実を再び発生させることは、沖縄県の基地負担軽減が喫緊の政治課題である翁長県政にとってあってはならないことです。

事務方だけでは、スケジュールの調整が極めて困難だそうです。翁長県知事、並びに、城間那覇市長から直接指示していただきますよう重ねてお願い申し上げます。

1月10日までにお返事を頂けるとのお約束でしたが、その約束期日も昨日で過ぎてしまいましたので、この場を借りてお願いさせていただいた次第です。ご理解くださいますようお願いいたします。

*この声がお二人に届くよう沢山の方のシェア拡散もお願いいたします。一人でも多くの方に浦添の基地問題にもご関心をお寄せいただきますよう、よろしくお願いいたします。
  

Posted by 松本哲治 at 2018年01月12日 08:14
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オール沖縄の矛盾

在沖米軍基地に強烈に反対しているように見えるオール沖縄のみなさんの矛盾が那覇軍港の浦添移設である。
だからこそ、このテーマは彼らにとってタブーであるし、もちろん県内マスコミでその矛盾を大きく取り上げることはない。
その(オール沖縄関係者の)誰も触れて欲しくなかったタブーについて、浦添市議会の場で明らかになった(明らかにしてしまった)場面が
youtubeにあがっていたので、まずはそのやり取りの場面をご覧になって頂きたい。

特にラストの1分は必見である。



私も始めは何が質問したいのか、言いたいのか、よくわからなかった。
しかし、ラスト1分で全てがハッキリとした。つまり

「那覇軍港の浦添移設は単なる引っ越しなのだから、早くやれ!

ということである。彼はオール沖縄浦添市議団を代表する新進気鋭の若手政治家である。
これまでも翁長県知事を熱烈に先頭になってマイクを握って応援した市会議員である。
だからこそ彼は那覇軍港浦添移設を単なる「引っ越し」にすぎないと訴え、軍港建設を推進してきた。
翁長県知事や城間那覇市長と同じ考え方である。

しかし、話が複雑なのは、この古波蔵議員、なぜか軍港移設反対派の共産党や社民・社大の皆さんを応援しているのである。
昨年の衆議院選挙では軍港移設反対を訴える照屋寛徳衆議院議員を、これまた先頭に立って応援。

これこそがまさに複雑怪奇なオール沖縄の政治認識なのである。

私はこれまでも何度も同じことを繰り返し言ってきた。
基地賛成でも反対でも意見は意見、どちらでも間違いはないし、主張し合えばいい。
でも、表で反対と言っておきながら実は本気で阻止するつもりはない。
あるいは、こっそり裏でお互いのタブーに触れないことを約束して、表では結束して反対を訴えるふりをする。
そんな県民をバカにしたような、選挙のためだけの有権者だましこそ、政治が絶対にやってはいけないことではないかと思うのである。

最後のシーンをもう一度よく観てほしい。

後ろに写っている共産党市議の二人の、同じオール沖縄の浦添市議団仲間の失言に対しての舌打ちが聞こえてくるようである。
その空気に気づいた古波蔵議員が次の質問へと急いで進んで、ごまかして終わりとなった。

オール沖縄の皆さんはこんな茶番劇をいつまで続けるのだろうか?
那覇軍港浦添移設について、賛成なら賛成、反対なら反対、どちらでも構わない。
しっかりと協議して結論を公に共同で堂々と公表してもらいたいものだ。

それとも、那覇軍港の浦添移設は、オール沖縄を維持していくための捨て石だと考えているのだろうか?  

Posted by 松本哲治 at 2018年01月04日 14:50
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ホテルキング宿泊体験記

浦添にはホテルがないとよく言われているが、実は開業から50年とも噂されている、老舗のホテルが屋富祖通り入り口にある。

その名も「ホテル キング」。

実はこのホテル、浦添市民なら誰でも知っている程に有名なのに、泊まったことのある人に会ったことがない。そこで、浦添市のことなら何でも知っておかなければならない市長として、市民を代表して宿泊してみようじゃないかと、屋富祖のとある酒場で盛り上がりその勢いのまま、体験レポートを書いてみる。まずは概要の説明から。

こちらが外見、58号線側から、横断歩道の真ん中から信号を気にしながらの撮影。


名物オーナーの比嘉さん。丁寧に対応して頂きました。ホテルと同じくらい味があります。


一泊3000円。なかなか無いですよ、今時このお値段は。ツインでお二人なら5000円。


注目のお部屋。ホテルと言うよりも、古びたアパートの一室、と言う感じ。


バス・トイレががまさに古いアパートの風呂場そのもの。


テレビに冷蔵庫にクーラー完備。なんとfree-wifiまであるんだぜ。


シーツもきちんと洗濯されてて、衛生面も(私レベルでは)全然ノー・プロブレム!


部屋までの廊下。足音やおしゃべりは部屋の中まできちんと聞こえます。


こちらは5階からの風景。ビミョーにオーシャン・ビュー。しっかりキンザーベース・ビュー。


こちらから実際に宿泊したお部屋。


昼間の部屋と違うのはトイレが和式。


しかし、そこは取り付け型洋式トイレが被せてあります。


どんなお風呂もゆったりバスタイムに変えてくれる入浴剤。こちらは持参です(決して出血風呂ではありません)


使わなかったもう一つのベッドに朝日が射している。


窓から東側、市役所方面を眺めてみる。おぉこれぞ屋富祖の夜明けだ!


夜明けの屋富祖通り。夜の喧噪が噓のよう。


歩いて1分のところにあるゲーム喫茶「PUFFY」


ここで8:00からのワンコイン・モーニングを食べれば、3500円で一泊朝食付きと考えることも可。


前の晩に遅くまで屋富祖で飲んで寝たので、以外とあっさりと朝を迎えてしまった。
結論から言えば、ごくごく普通の安いホテルです。全然いけてます。ホテルに多くの期待をしなければ、十分に立派なホテルです。

夜中に変な声がしたり、隣がうるさかったり、何かが出てきたりもありませんでした。

唯一の欠点は、シャワーの勢いが弱くてそれなりに寒かったです。なので寒い冬の朝はシャワーだけでは辛いです。でも、そこはお湯を湯船に張ってしっかりと暖まる戦法でクリア出来るでしょう。

いづれにせよ、噂のキング、なかなかのホテルでした。何となくもっと好きになりました。そして、より多くの人に知ってもらいたくなり、泊まってもらいたくなりました。万人受けする鉄板ホテルではありませんが、必ず気に入ってくれるモノ好きトラベラーが誕生することを確信しました。是非、沖縄に来る時には(普通のOkinawaに飽きた時には)ホテル「キング」よろしくお願いします。もれなく我らが愛しのディープ屋富祖がついてきます。

<宿題>
今回私はごくごくオーソドックスな宿泊を行いました。このレポートを読んでホテルキングに関心を持った方は、「ホテルキング、こんな使い方あります!」提案を募集します。どんどんSNSやネットで取り上げて、みんなでキングと屋富祖通りを盛り上げていきましょう!
  

Posted by 松本哲治 at 2018年01月02日 07:00
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沖縄タイムス「論壇」

去る8月7日のまよなかしんや氏への返答をタイムス紙が掲載してくれました。こちらでも読めるようにアップしておきます。写真では読めないと思いますので、原文を掲載しておきます。少し長いですが、どうぞお読み下さい。





「県政与党側に要望 先決」
「軍港」移設 必要性の議論

 7日「論壇」に掲載された、一坪反戦地主会浦添ブロック事務局長のまよなかしんや氏からの投稿へのお返事をさせて頂きます。

 まず始めに、1999年発足以来、浦添新軍港建設阻止の闘いを展開してきた貴団体の活動に対し深く敬意を表します。投稿内容としては、①懇話会では那覇軍港浦添移設の必要性を先に議論すべき、②県知事、那覇市長、浦添市長の三者面談で移設断念と決めるべきーの2点であると理解しました。そのご提言に対して、これまで浦添市議会の場でも表明してきた私の認識をここでも示しておきます。

 両点における共通する私の認識としては「時期を失してしまったのではないか」ということです。まず、翁長県知事も城間那覇市長も既に公式な見解として那覇軍港浦添移設の「容認」を明言しており、また、翁長県知事が管理者である那覇港管理組合も軍港移設を前提とした移設協議会へ参加し議論が既に進行しております。現時点において、①のそもそも論を唱えたり、②移設断念を訴えることは、沖縄の過重な基地負担軽減となる那覇軍港の早期返還が求められている現状において、逆に基地の固定化や返還の遅延化を招きかねません。

 近年にも移設阻止のチャンスは数回ありました。まず、私が初当選した2013年2月の段階では翁長那覇市長(当時)の「浦添移設とは切り離した単独先行返還論」が県内他紙にて大きく報道されており、その時に一気に県内移設なき返還を実現すべく協議を持ち掛けましたが残念ながら実現には至りませんでした。また、2014年11月に行われた県知事選挙においても移設容認を公言した翁長県知事が圧倒的な民意のもと、軍港移設反対を訴える候補者を大差で破っております。更には、今年の2月に行われた浦添市長選挙においても、私からの再三の要請にもかかわらず、公約として軍港反対を明確に掲げる候補者は立候補さえできずに現在に至っております。

 浦添新軍港建設阻止を実現するためには、集会や大会で反対の声を上げるだけでなく、実効性のあるアクションを、効果的なタイミングで、真の決定権者に対して行うことが大切であり、時期を失すれば手遅れになってしまいます。従って、一坪反戦地主会とオール沖縄関係者、県政与党県会議員等のみなさまで、軍港移設は本当に必要かどうかを今一度しっかりと議論し、統一見解を公式に発表するよう要望することがまずは先決であると考えております。
  

Posted by 松本哲治 at 2017年08月14日 08:18
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