53歳責任世代が浦添市の新しい明日を創る! 松本哲治「百花繚乱日記」ブログ

まつもとてつじのドタバタ市長奮闘記

星になったM




「星になったM」

出張中の東京でバタバタと走り回る私の携帯に1通のメールが届いた。

「お久しぶりです。○○日はMの1周忌です。お時間あれば回って来て下さい」

Mちゃんのお母さんからのメールだった。冷たい風が吹く東京永田町の街角でふっと立ち止まり、1年の早さに流れる雲を見上げた。

私がMちゃんと初めて会ったのは約13年前、難病と闘う子ども達の夢を応援する非営利団体メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン(MAWJ)の沖縄ボランティアとしてお手伝いをさせて頂いたのがきっかけだった。

当時6歳だったMちゃんの「家族みんなでディズニーランドに行ってみたい」という夢(ウィッシュ)を叶えるコーディネーターとして彼女が入院している病院を訪ねたのが最初の出会いだった。

病気の詳細を書くことはできないが、非常に稀な難病と闘っていた幼いMちゃんとの初面談で私は強い衝撃を受けた。その病院からの帰り道、「絶対に夢を叶えてあげたい」と心に誓ったのだった。

その後、さまざまな調整や手続きを経て、数々のハードルを乗り越えてその夢は実現し、彼女にとっても家族にとっても、そして、私にとっても忘れられない思い出となった。

その後、彼女は夢を実現した力をもとに長く辛い闘病生活を小さな身体で一生懸命に闘い、そして、昨年の1月末、家族に暖かく見守られながら安らかに天国へと旅立って行った。

1年前のMちゃんの告別式の日、私は目前に迫る2期目の選挙戦の真っ只中だった。ぎゅうぎゅう詰めのスケジュールを無理矢理こじ開けて、高速道路をかっ飛ばして告別式へ向かった。久しぶりの再会。ちょっぴりお姉ちゃんになったMちゃんがニッコリと笑っていたのは遺影の中だった。お線香をあげて手を合わせ、家族へ黙礼をした。参列者の並ぶ中では言葉をかけることもできず、すぐに地元の選挙戦へ戻らねばならなかった。トンボ帰りの高速道路。Mちゃんとの思い出が蘇り涙が溢れて止まなかった。

あれから1年。

久しぶりに声を交わしたご家族はすっかり落ち着いていて、いろいろなMちゃんとの思い出話に花が咲いた。天国へ旅立つ前の写真を見せてもらったが涙をこらえるだけで精一杯だった。どれほど過酷な闘病生活だったかを物語る、言葉を絶する程の壮絶な写真だった。遺影の中の可愛らしい笑顔の裏で、彼女と家族がどんな地獄を見て、どれだけの苦痛に耐えて、どれほどの涙を流してきたかを想像して、帰りの車の中でまた泣いた。

生きていれば今頃19歳。友達と無邪気に戯れ、オシャレを楽しみ、誰かに恋する、かわいい女の子だったに違いない。そうか、来年は成人式だったんだ。私の記憶の中の「かわいい女の子」ではなく、「綺麗なお嬢さん」だったに違いない。やりたいことも叶えたい夢もたくさんあったことだろう。彼女の分まで、彼女に変わって、彼女の夢を背負って、毎日を一生懸命に誰かのために生きていきたいとふっと思った。

彼女はいつも私に、生まれてくること、出会うこと、そして、別れることの意味を問い続けてくれる。今に感謝を忘れず、何事も当たり前に思わず、人の痛みと足るを知る人生を歩んでいきたいと星を見上げた。

「ま つ も と さーん、またきてねー」

星になったMちゃんの懐かしい声が今でも聞こえる。


Posted by 松本哲治 at 2018年01月23日   09:37
Comments( 2 )
この記事へのコメント
泣けます‼️
いつも、健康の有り難さ実感します
Posted by 町田麗香 at 2018年01月23日 12:12
私は、先日の国立病院の結果で結果が悪くて落ち込んでいました。でも、私よりもっと過酷な闘病をしている方達がいると思うと、弱音を吐いてる場合じゃないなぁと思います。ましてや、私よりはるかに小さな子が…(泣)
頑張ろう。
Posted by のりこ at 2018年01月27日 08:24
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