53歳責任世代が浦添市の新しい明日を創る! 松本哲治「百花繚乱日記」ブログ

まつもとてつじのドタバタ市長奮闘記

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いっています

ひだまり通信2月号「百花繚乱日記」コラムより転載

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「いってきます」

 おはようございます!

 いってらっしゃい!

 今朝も街頭にひとり立っている。夜明け前のうっすらとした暗闇の中で、凍える両手に白い息を吹きかけながら、通り過ぎ行く自動車に手を振る。多くの友人や知人たちが手を振り返してくれる。中には名前も顔も知らない人たちが笑顔で手を振り返してくれる。孤独な街頭手振りの中で、これがどれほど勇気を与えてくれることか。

 街を歩いていると偶然にも懐かしい人たちや直接の友人・知人以外の方にお会いすることができる。昔の同僚、弟の同級生、父の友人、後輩のお母さん、妻の教え子の保護者、友人の友人、先輩の働く職場のバイト生などなど。「頑張って下さい」の暖かい言葉に感謝せずにはいられない。

 その中でも多いのが、私と同じ分野で働く介護・医療・福祉関係者や、お客様とそのご家族のみなさんだ。先日も路上で偶然にも、十年以上も前に兄が大変お世話になったという女性と再会した。実は私は彼女の顔を覚えてはいなかったが、ありがたいことに向こうはしっかりと覚えていてくれたのだった。彼女の話す当時のお兄様の様子をもとに、古い記憶のページをめくりながら二人で再会を喜び合った。彼女が去り際に残した「これでやっと松本さんに恩返しができる」との言葉に、本当に介護の仕事をしてきて良かったと心から思えたものだった。

 今月末をもって、十年間お世話になったライフサポートてだこを退職することにしました。たくさんの素晴らしい仲間たちに囲まれて、抱えきれない程の素敵な思い出を頂きました。また、たくさんのお客様とその家族のみなさまに支えられて、私は今日まで来ることができました。この感謝の気持ちは、いかなる言語を駆使しても表現することはできそうにありません。全員抱きしめて、お礼を言いたいくらいです。

 しかし、足がすくむような恐れを前にして、大切なものを断ってしか立ち向かえない時が人生にはあるような気がしています。きっと、それが自分にとっては今なのでしょう。感謝と思い出をバックパックにいっぱい詰めて、前だけを見つめて歩いていきます。堂々と胸を張って、歩いて行きます。それでは、いってきます。


Posted by 松本哲治 at 2013年02月02日17:32
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別れの夜に

最近UPすることを怠っていた
ひだまり通信「百花繚乱日記」の1月号を載せておきます。

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「別れの夜に」

 家族との話し声が廊下まで聞こえてくる程だった。病室に入ると、私が予想していたよりも割と元気な彼女が、上半身を上げた電動ベッドの上に腰掛けて穏やかな笑顔で私を迎えてくれた。彼女の病名は癌(ガン)。もう既に積極的な治療は望めなかったのだろう、彼女はホスピス病棟に入院していた。

 結婚の時に指輪を買ってもらえなかったことを何十年も話していたという彼女に、病棟で行われた金婚式でご主人が指輪をプレゼントしたとのことだった。その時の写真を嬉しそうに説明している彼女の指には素敵な指輪が輝いていた。

 話が一段落つくと彼女は私にハグしてくれた。癌という疾患には珍しくふくよかな彼女の背中に手を回し、私は彼女を抱きしめた。その時の感触や彼女が耳元でささやいた「頑張ってね」という励ましの声を私は今でもはっきりと記憶している。どっちが病人なのかわからないような面会の帰り際、再会を約束して病院を後にした。

 その後、私は数日後に行われる予定の大切なイベントの準備で奔走していて、それを成功させてから彼女を再度訪ねるつもりだった。何とか無事にイベントを終えた翌日、彼女が前日に、つまり、そのイベント当日に天国へ召されたと電話を受けた。

 予想よりもはるか急に訪れた突然の別れに戸惑いながら、私はその夜、びっしりと詰まったスケジュールを無理矢理空けて、彼女宅を訪れた。賛美歌が流れる自宅で、もう既に目を開けることのない、もうハグすることのできない彼女と再会した。

「また来てね」
「はい、また来ます」

 あの日、二人で交わした短い約束の会話が心に残っていて、私は申し訳ない気持ちで胸が潰れそうだった。次の予定が迫っていて慌ただしくその場を去らなければならない事情も加わって、すまなさと謝罪の気持ちで心が塞いだ夜だった。

 自分一人ではどうしても処理できない慙愧(ざんき)の気持ちを持て余しながら、その夜最後の訪問先で少しだけその件について話した。すると、ある人が

「ちゃんとその方は、松本さんのことも全て考えて旅立ちの時を選んだのよ。
天国から見守ってくれているから何も心配要らない」

と話してくれた。

 少しだけ気持ちが楽になって夜空を見上げると、晴れた冬空に星が輝いていた。


Posted by 松本哲治 at 2013年01月25日00:25
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北京国際会議

ひだまり通信10月号「百花繚乱日記」コラムより転載

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「北京国際会議」
 
 8月1日から3日までの3日間、北京で行われた国際会議に参加して来た。これはアジア太平洋地域の相互理解と発展を目指して米国議会によって設立された研究機関・ハワイ東西センターによって主催された2年に1度の国際会議である。ハワイ大学と北京大学との協力のもと開催された今回の会議のテーマは「アジア太平洋地域における対話構築とリーダーシップ」であり、そこには東西センター関係者を中心に世界中から約300名の専門家が集まっていた。経済のみならずさまざまな意味で大国化しつつある中国の首都・北京での会議とあって、李岩松北京大学副学長、中国教育省副大臣の挨拶、そして、ゲーリー・ロック駐中国米国大使による基調講演で華々しく開幕した。
 
 尖閣問題を巡って繊細な関係にあるこの時期、是非とも東アジアにおける安全保障について実際に直接、中国を始めとする専門家の方々と議論がしたくて足を運んだのであった。意見を交わしてみての印象は、多くの中国人関係者が日中の緊張関係を憂慮しており、特に先日北京で起こった丹羽大使の乗った公用車が襲われ国旗が奪われた事件や頻発する反日デモに対して遺憾の意を表していた。肝心の尖閣問題に対してはうまくはぐらかされた感があったが、それ以外にも韓国人研究者との慰安婦問題についての議論など、実に興味深い、そして、有意義な直接対話の機会であった。
 
 日本人だからという理由で特別に危ないことは何も無かった。特に北京大学の学生は教育レベルも高く真摯にこちら側の意見にも耳を傾け、新しい日中関係は新しい世代同士で構築していかなくてはならないと考えているようでうれしかった。繊細ではあっても確かな明日への希望を感じさせる国際会議だった。
 
 このコラムを読んでいる若者たちへ。沖縄を飛び出してみるといい。米国でも中国でもアフリカでもどこでも構わない。お金がない、時間がない、語学ができない。そんなこと百も承知で伝えておきたい。旅でも留学でも仕事でも何でもいい。世界へ飛び出し、勇気を持って現地の人の中に飛び込むといい。片言の英語と身振り手振りで体当たりして、騙したり騙されたり、優しくされたり傷つけられたりしながら人間愛を肌で学び、世界のデカさと自分自身のちっぽけさを学んで欲しい。
 
 格安航空券と円高とインターネット。時代は、そして、世界は君を待っている。


Posted by 松本哲治 at 2012年10月11日14:08
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慟哭の夏

ひだまり通信9月号「百花繚乱日記コラム」より転載

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「慟哭の夏」

六月二十三日の沖縄慰霊の日、八月六日広島原爆の日、九日長崎原爆の日、そして、八月十五日の終戦記念日。我が国日本では、夏はあの太平洋戦争の記憶を振り返る季節でもある。そんな真夏のとある日、私はひょんな事情から、かねてより訪ねてみたかった鹿児島県知覧町をひとり訪れることになった。ご存知の方も多いと思うが、知覧町と言えば、太平洋戦争末期、劣勢だった戦況を反転させるべく、人類史上類のない爆弾を抱えた飛行機もろとも敵艦に体当たりした特攻隊の資料が展示されている知覧特攻平和会館のある街である。ローカルバスを乗り継いで、私がその場所にたどり着いたのは、じっと立っているだけでも汗がにじみ出るような暑さの八月の午後だった。

そこには、死が確実な片道だけの燃料を積んだ戦闘機に乗って、桜島に昇る朝日を背に沖縄に向かった青年たちの勇ましくも悲しい辞世の句が所狭しと展示されている。まだ二十歳前後の彼らが飛び立つ前に家族に残した遺書の数々に、私は泣きながら館内を歩いた。父母への感謝とお詫び、兄弟たちへの思い、妻や恋人への惜別の言葉、そして、故郷に残してきた幼い子どもたちへの言葉。特攻隊員として太平洋に散った千三十六名の青年たちの、時が今ならば青春を謳歌しているはずの前途ある青年たちの、誇りと無念に満ちた切ないほどの壮絶な思いに圧倒されながら、私は閉館まで時を過ごした。

最も悲しかったのは、出撃前日に撮られた写真の中で、死を目前にしているとは思えないような無邪気な笑顔を彼らが見せていることである。特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんの証言によれば、一人として逃げ出す者はいなかったそうだ。もしかすると彼らの中には、いづれ日本が負けることを感じていた隊員もいたのかもしれない。それでも彼らの命と引き換えに行う特攻が敗戦後の日本復興の時に多くの日本人に勇気と誇りを与えることだけを祈って若い命を捧げたという。誰も恨まず、文句も言わず、ただ感謝だけを言葉にして、遺骨さえ拾ってもらえぬ南の海に笑顔で飛び立ったのである。

今でこそ「なでしこ」と言えば女子サッカー日本代表を意味しているが、特攻隊員たちの身の回りの世話をしていた知覧高等女学校三年生の勤労女子学生が「なでしこ部隊」と呼ばれていた事実を知る人は少ない。

成人を迎える若い人たちに、人生の節目として「知覧」を訪ねることをお勧めしたい。


Posted by 松本哲治 at 2012年09月06日06:03
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自我を持って尊しとなす

ひだまり通信8月号コラム「百花繚乱日記」より転載

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「自我を持って尊しとなす」

沖縄では霊的な能力を持っている、あるいは、霊感の強い人を「サー高生まれ(さーだかうまり)」と云う。そう言う意味では、僕はかなり「サー低い」生まれである。幽霊を見たこともないし、何か大いなる声を聞いたこともない。ある特定の場所で、霊的なことを感じたりチルダイ(疲れたように体調がおかしくなること)したことも、何かが降りてきたことも、残念ながら(?)ない。
 
ところが、そんな僕の周りに最近いろいろな「サー高い」人がやってくる。いや、巡り会うという感じだろうか。彼らが僕にいろいろメッセージを伝えてくれる。(ちょっとプライバシーになるので内容は書けません、ごめんなさい) そんな時、サー低い僕は「はぁ、そうなんですか」としか答えようがなくて困るのだが、しかし、よくよく考えてみると、彼らが僕に伝えようとしているメッセージは結局一言にまとめれば、「自分を信じて、心の命ずるままに生きなさい」ということである。

ところが、サー低い僕はここで考えてしまう。だいたい心の命ずるままに自由に生きていこうとすれば、必ず回りに迷惑をかけてしまい、場合によっては、多くの敵を作ったり非難されたりもする。そこで「周りへの配慮ができる、争いを起こさない、みんなと仲良くなれる人」という、もう一つの対抗軸が浮かび上がってくる。確かに、多くの人から信頼され、支持され、賛同されることは大切なことだし、「一人では何もできない」というのも、確かにその通りだと思う。

しかし同時に、「たとえ一人でもやり抜く」という覚悟がなければ、誰もついて来ない、というのも事実じゃないか。自分の心が進めと命じているならば、周囲を気にせず真っすぐに自分の人生を歩むことも大切じゃないですか。「スタートは一人だった」なんていうサクセスストーリーは本屋に行けばゴロゴロあるのに、と僕はまた思うのである。

サー低い僕が「心の声」を聴くことは本当に本当にとても難しいことなのだ。自分で自分がわからなくなる迷宮への入り口のようでもある。でも、いや、だからこそ、心の耳をすませて、僕自身の中から聞こえてくる声に耳を傾けて、その声に忠実に生きてみたいと思う。その向こう側に広がっているだろう風景を、目に見えないもう一つの世界を心の目で見てみたいと願うのだ。

勇気、覚悟、使命を携えて自分自身を生きていこう。


Posted by 松本哲治 at 2012年08月09日17:40
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この街からこの星へ

ひだまり通信6月号「百花繚乱日記」コラムより転載

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「この街から、この星へ」

 この場でも何度も書いているので知っている人はよく知っていると思うが、僕たちライフサポートてだこは介護福祉サービスを提供するエリアを浦添市内に限定している。エリアを市内に縛ることでこの地域と密着した関係を築いていくことがこれからの地域福祉のポイントになると考えたからだ。お陰様で設立から十年、この方針を何とか貫き通すことができたのも多くの地域の方の支えがあったからだと感謝している。

 この市内限定の経営方針がもたらす嬉しいことの一つには、かつて僕がお世話になった方々に仕事を通して恩返し(罪滅ぼし?)が出来ることだ。中でも最近多くなったのは、同級生の親の介護に携わることだ。小・中学校時代に一緒に遊んでいた友人たちが介護の相談で訪ねて来てくれると、これほど頑張り甲斐のあることはない。後先も考えずに「まかちょーけー(任せておけ)」と思わず胸を叩きそうになるのである。

 去る一月に仲西中学校の同期会を幹事として開催したのをきっかけに多くの同級生と再会を果たした。その後もよく連絡を取り合うようになったのだが、話題が若い頃の「恋愛・就職」から、「結婚・子育て」を経て、今では「健康・親の介護」と変わってきている。年齢を感じつつ、友人たちのお役に立てるのはやっぱりこの上無い喜びなのである。

 もちろん、中には深刻な悩みもあるし、何ひとつ役に立てない場合もある。それでも、話を聞き、出来るだけのことはしたいと思う。「親の介護で困っている」「心を病んで会社を辞めた」「障がいのある子を授かった」そんな人生の挑戦に立ち向かう時に、僕のことを思い出して連絡してきただけでも、嬉しくて嬉しくてたまらないのである。

 僕が誰かを助けるとか救えるなんて思わないが、それでも、僕の言葉や行動や活動が誰かに笑顔や安らぎをもたらすことができるなら、こんなに素晴らしいことはないと思う。結局、本当の幸せとは誰かを幸福にする、誰かの幸福を願うことからしか始まらないとしたら、僕ら介護や福祉の仕事はなんと素晴らしい仕事なのかと思う。

 小さなことからで構わない、身近にいる人からで構わない。僕ら一人ひとりが周りの誰かを幸せにしていくこと。それが積もり積もってゆっくりと広がっていけば、この地球を幸福の星へと変えることができる。そう、僕らの足元は世界へと繋がっている。

 夜空に輝くスーパームーンを見上げながら、スーパーアースについて考えていた。

Posted by 松本哲治 at 2012年05月22日18:11
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宇宙兄弟

ひだまり通信5月号「百花繚乱日記」コラムより転載

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「 宇 宙 兄 弟 」

今でこそマンガを読む時間はめっきりと少ないが、僕も小学生の頃は週刊少年ジャンプやサンデーなどに夢中になったものである。「がんばれ元気」に影響されてボクシングごっこを始めたり、「ドカベン」は僕ら野球少年の定番だったし、「男一匹ガキ大将」で男を学んだ(気になっていた)。それほどマンガは小学生の僕に大きな影響を与えたのだった。その後も「柔道部物語」「風の谷のナウシカ」「沈黙の艦隊」などを良く覚えていて、最近では「リアル」なども名作だと思う。

そんな僕が今ハマっているのが、「宇宙兄弟」(小山宙哉、モーニング掲載)という作品である。幼少時代に星空を眺めながら宇宙飛行士になることを約束した兄・六太(ムッタ)と弟・日々人(ヒビト)の兄弟がさまざまな挫折と困難を乗り越えて宇宙を目指していくというストーリーである。行きつけの床屋で目にとまったことがきっかけで読み始めたわけであるが、これが実に面白い。へんてこで不器用な兄が、周りからの友情と応援を獲得しながら、一歩先行く弟を追いかけていく、笑いあり涙ありの物語である。舞台があのNASAで夢は壮大でありながら、妙に親近感を感じさせる主人公のキャラと「スラムダンク」ばりの熱い名セリフがたまらないのである。

そんなわけで僕がこれまでにハマった作品を思い出してみると、その共通項が「夢」である。やっぱり男子たるもの「夢」を食って生きていく生き物であることは、これらのマンガたちが僕に刻み込んできた人生の教えなのである。男として生まれたら「銭」だの「安定」だの「世間体」だのセコイこと考えずに真っすぐに「夢」を追わなくちゃ。

前述のマンガ「宇宙兄弟」のテーマも、やっぱり「夢」である。実写版映画となって五月から劇場公開されることになっているが、原作にこれだけ惚れ込んでいるので、観てみたいが怖い気もする。とにかく、より多くの方に原作のマンガを読んでみて欲しい。

夢なんて、他人が与えられるものじゃない。心のド真ん中から溢れ出て、頭で考えたって自分でも制御不能なものなのだ。

最後に作品中の名セリフをひとつ紹介しておこう。
夢に懐疑的な兄に対して、絶対に宇宙飛行士になれるという自信のある弟が言うセリフ。
兄「世の中に『絶対』なんてないんじゃねーかな」
弟「そうだな。世の中にはないかもな。でもダイジョブ。俺の中にあるから」


Posted by 松本哲治 at 2012年04月26日06:23
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鎮魂の旅

ひだまり通信4月号「百花繚乱日記」より転載

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「鎮魂の旅」

あの東日本大震災から一年が経過した。

あの日、テレビで流れる映像を観て以来、「何かしなければ」との思いと、「何ができるのか」の現実とのはざまで悩み続けてきた。まずは、早急に必要とされていた水や米、オムツや生理用品などの救援物資を送った。次に募金活動を開始し、「ゆいまーるfor東北」「アジア・チャイルド・サポート」「つなぐ光」さんを通してお金を送った。また、チャリティ映画上映会を開催し頂いた募金を「ウチナー・福島交流実行委員会」に託した。そして、とにかく一人でも多くの人があの日のことを忘れないようにと「忘れないステッカー」を作成し、できるだけ多くの会合の場で趣旨を説明して、無料で配布してきた。

でも、実はまだ僕の中にあの日は消えない傷跡のように残っていて、今でもチクリと痛むのだ。その理由をずっと考えている。
 
たぶんそれは、実際に僕はまだあの被災地を訪れていないということから来ている。震災の直後からたくさんの人があの場所に足を運んで一生懸命に活動している。自衛隊などプロの出番の後も、困っている人たちを助けるために芸能人から一般の学生までボランティアとして多くの人が現地に入っている。そんな彼らの行動力は称賛に値すると思うし、僕自身の分まで頑張ってもらったようで勝手に心から感謝もしている。

にもかかわらず、その一方でなぜか僕自身があの被災地を訪ねるのに未だにためらいを感じているのも事実なのだ。それはもちろん放射能が怖いとか、仕事や子育てが忙しくてというわけでもない。よくわからないが一言で言えば、「なんとなく勇気がない」のである。何度も行くチャンスがあったにもかかわらず、なぜか僕は二の足を踏んでしまう。それがいったい何なのか。その理由をこの一年ずっと探し求めてきた。

でも、一年が過ぎた今、僕はこう考えている、急がずに待とうと。いつか自分の心の中で何かが整理されて、あの悲しみの大地を自分の足で踏む勇気が出てきた時を静かに待とうと。あの悲しみの海にひとりで対峙できる勇気が出てきたその時に、そっとあの場所を訪ね、祈りを捧げようと思う。残念だけど、今はまだそれができない自分がいる。

やはりあの日を境に僕の中で何かが変わってしまった。その何かを確認するために、いつか小さな花束を持って旅に出ようと思う。いつの日か、僕なりの鎮魂の旅に。


Posted by 松本哲治 at 2012年03月31日06:24
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三つの誓い

ひだまり通信2月号「百花繚乱日記」コラムより転載

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「三つの誓い」

年が変わるなんてただの節目に過ぎないとは思いつつ、なぜかいつも新春の誓いなどというモノを考えたがる私は、今年も目標を立てました。この紙面上で公開しておけば、さすがに「できませんでした」ではかっこが悪いわけで、自分を追い込む意味で公にしておきます。私は経営者であり父親でもあるわけですが、全部書いてしまうと長い話になるのでこの際、ビジネスでも家庭のことでもない個人的な目標を、三つ宣言します。

まず、スポーツ系。今年は七月のあやはしトライアスロンと十二月の那覇マラソンの完走をお約束します。昨年、一応両方とも達成しているのですが、残念ながら好きでやっているレベルまで到達しているわけではありませんので、練習を継続すること、そして、昨年のタイムを上回ることが目標です。

それから、第二にお勉強系。いきなりですが、なんと中国語の勉強を始めます。ずっと考えていたことですが漫然と過ごしてしまった昨年だったので、中国の方と楽しく会話する、を目標に今年はアクションを起こします。全くの初心者ですが、こんな僕でも本気(マジと読む)で新語学に取り組んだら一年後どうなるのか、みなさんに観察・監視していただこうというのが魂胆です。乞うご期待。
 
第三の目標は、これこそ「ガチパー系」(ガチなパーソナルの略・超個人的なこと)。それは、最近、特に薄くなり始めた髪対策として、「のむタイプの治療薬」を始めてみます。お笑い芸人の爆笑問題のCM「お医者さんに相談しよう!」で有名になりましたが、AGAとは男性型脱毛症のことでして、この一年僕の頭部もずいぶんと進行したようです。(思いやりか情けか)多くの人は「まだ大丈夫」と言って下さいますし、僕自身半分は希望を含めて「まだまだOK」と思っていましたが、ストレートに直言してくれる妻や娘や一部職員からは「かなりきている」というのが、悲しいかな真実だそうです。別にハゲでもいいじゃないかとも思いますが、いずれ後悔のないように今のうちにやれるだけはやっておきたいという自己満足心と、「本当に薬が効くんかいな?」という好奇心からなる目標です。私に会う人は半年後の違いを確認してみて下さい。

「フサフサと髪をなびかせながら、北京マラソンで完走」

している自分を想像すると、うぅぅ、一人で今年もワクワクしてきました。それでは、谢谢、再見!


Posted by 松本哲治 at 2012年02月06日15:01
Comments(3)コラム:百花繚乱日記

人類まるごと

ひだまり通信1月号「百花繚乱日記」コラムより転記

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「人類まるごと」

ちょうど一年前、研修のため僕はハワイにいました。最後の追い込みの時期で、街で流れるクリスマス・ソングをよそに最終レポートに追われていた頃でした。あれから、あっという間に一年が過ぎ、あの時の誓いを忘れてはいまいか、あの頃の想いは薄らいではいないか、そんなことを考えながらこの一年を振り返る今日この頃です。

世界中から集まったたくさんの仲間たちとハワイで出会いました。ワシントンDCにもニューヨークにも、北京にも雲南にも一緒に行きました。笑いあり、涙あり、ケンカあり、感動ありの濃厚な時間を共有し、そして、大切な仲間たちに別れを告げました。別れのキャンプの夜にみんなで肩を並べて見た、月光に輝くあのハワイの海を、炎に映る一人ひとりの笑顔を、波の音も、風も、匂いも、僕は今でも忘れることができません。

そこで僕は生れてはじめての不思議な感覚を覚えました。それは、「人類まるごと、世界まるごと、愛してみたい」という言葉ではうまく伝えられない感覚でした。これは非常に特殊な感覚でなかなか理解してもらえないと思いますが、きっとガンジーさんもマザー・テレサさんもキング牧師さんも経験しただろうと、なぜか僕は感じたのでした。
 
世界を観るという「外への旅」が、まさに自分の心へという「内への旅」だったように、世界中で暮らす仲間たちを大切に思うことは、僕の一番近くにいる仲間たちを大切に思うことなのだと僕は学びました。人類まるごと愛するということは、すなわち、目の前のひとりを愛することに他ならず、世界は僕自身であり、自分自身が他者であり、地球であり、全てであるという、本当に説明しがたい奇妙な感覚だったのでした。

そんな僕が帰国してまず一番最初にしたいと思ったことは、このライフサポートのみんなの側にいる、ということでした。そこで、僕は可能な限り外部からの役割をお断りし、できるだけみんなと一緒に時間を過ごすように努めました。気が付けば、めくりめくように季節は流れ、またクリスマス・ソングが街に流れているのです。

来年十月、僕らは創立十周年を迎えます。僕もライフサポートもたくさんの出会いと別れを繰り返しながら、また新しい年を迎えようとしています。出会いを勇気に、別れを優しさに変えて、僕自身も仲間たちも次なる新たな挑戦へとまた歩き始めます。

今年一年大変お世話になりました。来年もよろしくお願い申し上げます。


Posted by 松本哲治 at 2012年01月05日05:20
Comments(0)コラム:百花繚乱日記

坂道の登り方

ひだまり通信12月号コラム「百花繚乱日記」より転載

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「坂道の登り方」

 マラソンやトライアスロンに挑戦するようになって、少しずつではあるが、僕でも走れるようになってきた。先日行われた尚巴志ハーフマラソンも何とか完走することができた。尚巴志マラソンと言えば、あの有名にして最大の難所・新里坂(しんざとびら)である。車で登るのもしんどい、150メートルの高低差を約1キロで一気に上がる、あの急な坂道である。僕はジョギングをするようになって、面白いことに気が付いた。それは、坂道の登り方である。

 正しいかどうかは分からないが、僕なりの登り坂攻略法を書くと、ポイントは「先を考えない」である。体を前に倒し、歩幅を小さくして、足元だけを見つめる。とにかく「上を見ない。残りを考えない」ようにしている。僕の場合、上を見ると必ずガッカリする。残りの距離、坂の勾配、まだまだ続く登り坂。顔を上げて先を見ても、いいことは何もない。だから、登り坂にさしかかると、僕はただひたすらに視線を落して足元だけを見て、一歩一歩を踏み出しながら、全く別の事を考える。永遠に坂道が続くかのように覚悟して、周りの風景さえ見ないようにひたすら足元を見続ける。すると、気が付くと頂上に到達している。これは本当なのだ。気が付くと坂道はあっけなく終わっているのである。前述のあの名所・新里坂でさえそうだった。「あれっ、もう頂上?」って感じで唐突に登り坂は終わったのである。

 この坂道の登り方は僕に大切な人生の歩き方を教えてくれた。人生にはガンガン進める下り坂も、スイスイ走れる平らな道もある。でも、残念ながら辛くて苦しい登り坂もある。そんな逆境の登り坂も、大切なことは「上を見ず、先を考えず、一歩一歩の足元(日々のやるべきこと)だけに集中すること」だ。すると、あっけなく坂道は終わりを迎える。マラソンの登り坂と同じで、気が付けばいつの間にか辛い登りは終わっているのだ。険しい坂道になるぞと頭から覚悟して「今、ここ、目の前」に専念すればするほど、拍子抜けするほどにあっさりと頂上が目の前にあらわれる。そこではじめて顔を上げて周りを見渡せる時が来る。そこではじめて立ち止まり、登って来た坂道を振り返る。

 終わりのない登り坂はない。だから、先を考える必要も、残りを数える必要もない。苦しい登り坂の途中にいるあなた、とりあえず日々の足元の一歩一歩から。


Posted by 松本哲治 at 2011年11月30日16:29
Comments(4)コラム:百花繚乱日記

会社は誰がつくのか

ひだまり通信11月号コラム「百花繚乱日記」より転載

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「会社は誰がつくるのか」

私たちライフサポートてだこには今年の四月からスタートした新しい独自の制度がある。子育て介護特別支援制度と呼ばれる制度で、同居の一八歳未満の子ども、または、要介護の両親に、医療的支援(受診、入退院、病気療養などの付き添い等)が必要になった場合、一人に付き一六時間(二日間)の有給休暇が、通常の有給休暇に追加して認められるという制度である。証明する領収書や医師の指示書などを添付提出することなどの条件はあるものの、例えば子どもが三名で両親と同居している職員には、年間八〇時間(五名分)の有給休暇が通常有給休暇に上乗せ追加されるわけである。もちろん、法定の出産・育児休暇や介護休暇制度は、また別である。

介護業界で働く人たちはちょうど子育てと親の介護の両方がのしかかる年齢層の人が少なくない。風邪をひいたり予防接種を受けるにせよ、どうしても子ども一人だけで行かせるわけにはいかず親が仕事を休んで面倒を看なくてはならないし、介護が必要な親の定期受診だって、そりゃ共働き夫婦には大きな負担であるわけで、なかなかいい制度である。と、自画自賛したいところであるが、これは「社員思いの松本が可愛い部下のためにわざわざ作ってあげた」などという美しき話ではなく、ある職員有志がその必要性を訴え、社内に議論を喚起し、凄まじい闘争の果てに勝ち取った権利なのである。どれくらいの壮絶さか、当時のバトル時の僕のセリフが物語っている。

 「子育てが大変だと文句があるなら、始めから子どもなんか作るな!」

 「お涙ちょうだいで恵んでもらった制度なんか作っても意味がない!」

 「わがままなんかじゃないと言うなら、全員を巻き込んで上げて来い!」

こんな鬼のような僕に泣きながら反論し、作戦を練り直し、条件闘争に舞台を移し、全体会議に持ち込んで仲間を増やし、最後まで信念を貫き通した彼女たちを、僕は心から誇りに思う。悔しくて眠れなかっただろうと思う。何度も挫けそうになったと思う。何度も迷いもがいたことだろうと思う。それでもそんな彼女たちの思いの果てにこの新しい制度がスタートすることになった。今では、その他の職員達もこの制度を活用して仕事に励んでいる。

この制度は彼女たちの功績を表して、通称「ノダさくら制度」と呼ばれている。


Posted by 松本哲治 at 2011年11月06日19:21
Comments(2)コラム:百花繚乱日記

ビリーヴ

ひだまり通信10月号「百花繚乱日記」コラムより転載

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「 Believe (ビリーヴ) 」

先日、広島で行われた日本PTA全国研究大会に初めて参加した。
今年から宮城小学校のPTA会長をやることになったので、
是非一度はこの目で見てみたいと思っていた。
浦添市のPTA関係者(通称、市P連と呼ぶらしい)に
これからのPTA活動についていろいろ教えていただきながら、
全国から八千人も集まる巨大な大会を体験していた。

ところが、広島での二日目、携帯に緊急の連絡が入った。
ライフサポートの利用者(お客様のこと)のお一人が
急逝したとの連絡だった。

一瞬で頭が真っ白になった。
その方とは実に僕が広島に発つその前日に会って
話を交わしたばかりだったからだ。

ちょうどその施設では夏祭りを計画していたので、
広島に発つ前にきれいにしておきたくて汗だくになって
施設のお庭の芝刈りをしていた僕に
「いつもご苦労さんだね」
と声をかけてくれたのが彼女だった。

その楽しみにしていた夏祭りを終えた後、
胸の痛みを訴え、救急搬送されたが
そのままお亡くなりになった。
急性心筋梗塞だった。

緊急の連絡を携帯で受けて三度も名前を確認したほどの、
あまりにも急で、あまりにも予期せぬお別れだったので、
心を整えるのに少し時間がかかってしまった。

一瞬、研究大会を退席してすぐにでも
飛んで帰りたい気持ちになったが、
周りへの迷惑を考えるとそれも現実的な判断とは言えず、
結局残ることにした。
それでも彼女との思い出がありありと脳裏に浮かび、
その夜はホテルの部屋でなかなか眠ることができなかった。

大会最終日、全体会の最後で
東日本大震災の被災者の方への祈りと
復興への願いを込めて、
巨大な会場を埋め尽くす八千人もの参加者全員で
「ビリーブ」という曲を歌った。

  悲しみや苦しみが いつの日か喜びに変わるだろう 
  I believe in future 信じてる 


あの地震と津波で命を失った人の数約一万六千人、
行方不明者数約四千人。
全ての人にとって突然のお別れだったに違いない。

大会参加者一人ひとりの想いをのせた歌声が
巨大アリーナに響き渡った。
特別な年に行われた特別なイベントへのプレッシャーからだろう、
ステージ上に並ぶ広島実行委員会の
メンバー達はみんな泣いていた。

彼らを見ながら、僕も毎日を一生懸命に、
そして、誠実に生きようと思った。
別れがいつ僕を迎えに来てもいいように。


Posted by 松本哲治 at 2011年09月30日05:15
Comments(2)コラム:百花繚乱日記

父離れ

ひだまり通信6月号「百花繚乱日記」コラムより転載
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「 父 離 れ 」

今年のゴールデンウィーク、家族で二泊三日のヤンバル小旅行を計画していた。先に片づけておきたい仕事があったので僕だけ一日遅れて合流する予定だった。そこで、とっとと仕事を終わらせて明日は思いっきり朝から家族のもとへ出発だ、と張り切って頑張っていたところ、毎度のことながら仕事上でまたしても予定外のことが発生(ある意味、予定外の事が起こるのが予定通りの介護業)。

ある方が急にいきなり退院となったものの、家族は里帰りで不在。緊急対応をどうするか?ベッドに空きはなく、夜はどこで誰が看るのか? 酸素はどうするのか? 食事はどうする? それでも、本人は帰る、今帰ると大暴れなど、てんやわんやの騒ぎであった。

そこで先に出かけている妻に電話をした。実は、仕事でかくかくしかじかで、それでもヤンバルへ行くべきか、残るべきか迷っていることを告げた。これまでも子ども達との約束が急な仕事でドタキャンは数知れず、いつも後回しにしてきたのは家族で、またかとの思いがないわけでもない。都会の喧騒を離れて緑に包まれたヤンバルで、家族でバーベキュー、娘とのプール、息子と自転車乗ってキャッチボールして・・・。そんな風景が頭の中をグルグルと回っている僕に、妻が電話越しにハッキリと言った。

「こんな時に休んでのこのこ旅行に来るのか。男なら家族より優先することがある時だってあるだろ!残ってしっかり仕事して来い!」だって。

正直、僕はそんな妻の反応を喜ぶべきか悲しむべきか、自分でもすぐにはわからなかったのだが、ただ、妻の迷いのないタンカを切った物言いに少々たじろぎながら、

「あっ、はぁ、それでは残って頑張らせていただきます、ハイ!」

と、思わず携帯片手に直立不動で答えていた。しかし、そのおかげ(?)で、その後、何とかうまく事が運び、事なきを得た。人が足りなくなる連休であるが、そんな中を出勤してくれた職員みんなのおかげで今年もまた無事に切り抜けることができた。感謝。

旅行から戻った妻と話すとあの時は少し飲んでいたらしく、「亭主元気で留守がいい」と笑っていた。子どもたちにも寂しがった様子はない。そう言えば、昔テレビで聞いたことがある。子離れの心得は

「寂しがらないことを
寂しがらない」


らしい。

僕の仕事漬け生活は、まんざら僕だけのせいではなさそうだ。


Posted by 松本哲治 at 2010年05月26日11:16
Comments(2)コラム:百花繚乱日記

冒険のススメ

ひだまり通信4月号「百花繚乱日記」より転載

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「冒険のススメ」

「こんな小さな島、早く出ていきたい」

僕はいつ頃からかそんな思いを持っていて、高校時代には既に確信犯的に沖縄脱出を計画し始めていた。結局、いろいろあってそれが実現するのは五年以上も後の、大学卒業後の就職の時であった。

多感な青春期特有の、小さな島のしがらみや人間関係への嫌悪感と外の世界への憧憬に背中を押され、僕はバックパックを背負って、ヨーロッパを皮切りに東南アジアや中南米まで渡ったものだった。その後も僕の「外へ、外へ」という思いは治まることなく、後日、アメリカで暮らすことになる。

そんな僕にとって、青年とは「外の世界を目指す生きもの」なのだとすっかり思い込んでいた。

ところが、最近ある記事を読んでびっくりした。一九九二年をピークに海外留学をした学生が減少し、一昨年の調査では九二年比で約三割減少。記事によると「不況の影響もあるだろうが、若者が海外に出ない内向き志向が強まっている」らしい。

何も留学だけが世界を知る方法ではないので旅行でも遊学でもいいのだが、JTBによると若者の海外旅行離れも進んでいるとのこと。

う~ん、なんちゅうこっちゃ。

最近の若者旅行では重視されているのが、目的地の安全性やパックツアーの利便性、宿泊先の清潔さとの報告に、思わず頭を抱え込んでしまった。少し危険で不便で汚い(言うなれば安い!)ことこそが、金はないが体力と好奇心だけはある若者の旅行の条件ではなかったのか。つまり、それが「旅」であり、イコール「冒険」ではなかったのか!なぜか僕には、最近流行りの「草食系男子」とかベンチャー起業数の低迷とも関係しているのでは、と考えてしまう。

おいおい、マジでヤバイあらに?日本男子!

一方で心強いのは、二〇代女性の海外旅行が非常に積極的だとか(やっぱりここでも女性パワーか、ガックリ)。ここで、せめてもの救いなのが、僕の友人?「アホ長濱」君だ。こいつはある日、突然事務所を訪ねてきて、「世界一周の旅に出るから、応援してくれ」と来たのだ。こんな奴が嫌いでない僕は、ブログで道中に起こるさまざまなことを報告することを条件にしたら、とても面白いブログになっている。是非、アクセスを。

「世界一周!浦添市民・長濱の絆をつなぐ旅! http://connectiontheworld.ti-da.net/

春は卒業と旅たちの季節。
さぁ、若者たちよ、書を捨てて、いざ荒野を目指せ


Posted by 松本哲治 at 2010年03月31日09:06
Comments(2)コラム:百花繚乱日記

そこにある青空

ひだまり通信3月号「百花繚乱日記コラム」より転載

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「そこにある青空」

朝八時二十五分、朝礼の行われている事務所をそっと抜け出し、ヘルパーさんと二人でその子の待つ自宅へ向かう。障がいのあるその彼は一人で学校へ通えない。そんな彼をヘルパーさんと一緒に車に乗せて、僕は特別支援学校へと車を走らせる。

昨夜、降った雨が街を濡らし、木々や道端の花たちが生き生きとしている。朝日で街中がキラキラと輝いている。

浦添市内には障がいのある子が通う特別支援学校が二校ある。大平と鏡が丘だ。学校へ到着すると、そこには先生たちが素敵な笑顔と元気なあいさつで僕らを迎えてくれる。

僕はこの特別支援学校への朝の送迎が好きだ。

「○○君、おはよう!」

「おはようございます、○○さん!」

まるで元気な朝市みたいだ。

スクールバスを降りてくる子。親御さんに連れられてくる子。車いすに乗ったままの子。支えられながら歩いてくる子。大声であいさつを返す子。いきなり走り出す子。いつも恥ずかしそうにしている子。先生とハグする子。お母さんと離れない子。ヘルパーさんと一緒に楽しそうに集団で歩いてくる子。

そして、たくさんの生徒たちを迎えるたくさんの先生たち。みんな、元気で、明るくて、爽やかで。

僕はこの特別支援学校の朝の風景が大好きだ。学校入り口で毎朝繰り広げられるこの笑顔と元気の大交換会がたまらなく好きなのだ。

雨が降れば濡れないように、寒い朝には冷えないように、晴れの日も、風の強い日も、誰が強制したわけでもない柔らかな優しさと、まるで太陽のような元気さに包まれながら、僕は今朝も彼らを玄関で降ろして、学校を後にする。
 
「ありがとうございます」

「それじゃ、今日もよろしくお願いします!」

「は~い、行ってらっしゃい!」

「ど~も~!」

子どもたちを見送った僕が、穏やかで爽やかな風を背中に受けて、今度は僕が見送られる番だ。

子どもたちから元気と勇気をもらい、どっちが助けているのかわかりゃしない。昨日の疲れも、今朝の失敗も、明日への不安も、全てを和らげてくれる。

是非、あなたにあの朝の光景を見てもらいたいと思う。そして、特別支援学校正面玄関から空を見上げて欲しいと願う。

元気と笑顔と笑い声のこだまするあの場所で、きっと僕らは「いつもそこにある青空」に気づくことだろう。

そう、青空はいつもそこに。


Posted by 松本哲治 at 2010年03月02日00:09
Comments(2)コラム:百花繚乱日記

知ったカー

ひだまり通信1月号「百花繚乱日記コラム」より転載

「知ったカー」

今年もあっという間に年末だ。毎年恒例の「今年のヒット商品」でホンダのインサイトとトヨタのプリウスのハイブリッド車が選ばれた。プリウスは月間2万台を超える驚異的な販売となり、未だに納車が追い付かない程だという。その背景には「価格破壊」ともいえる低価格戦略が当たったということらしい。

確かに、プリウスは素晴らしい車だが、僕はプリウスの成功はホンダのインサイトなくしてはなかったと思っている。今年の初めにホンダがハイブリッド車であるインサイトの最低価格を189万円に設定していなければ、今日のような状況は生まれてない。新型プリウスが旧タイプよりも高性能であるにもかかわらず旧タイプよりも価格を28万円も安くしたのは、インサイトを意識してのことだ。別の言い方をすれば、トヨタはそれだけ旧タイプで高売りしてきた(より安く販売する努力をしてこなかった)わけで、旧タイプを購入した顧客の怒りもわからなくもない。インサイトがなければ新型プリウスは300万円はしたはずである。

しかし、僕がここで言いたいことはトヨタ批判でもプライシング(値付け)の話でもなく、また、とにかく物が安くなったのだから消費者としてはOKじゃん、といことでもない。これはライバル同士が切磋琢磨(せっさたくま)すること、いい意味で競い合うことが日本の技術を世界一にしていく好例だということだ。

ハイブリッド車などの、いわゆる、エコカー技術で日本は世界最先端を走っている。来年には日産や三菱が次世代EV(電気自動車)で巻き返しを狙っている。水素カーに、太陽電池搭載カーに、スーパーEV「エリーカ」など、熾烈な国内競争が結果的に日本の技術水準を世界一にしていくわけだ。何もこれは技術やビジネスだけでなく、スポーツでも同じことが言える。強烈なライバル同士での日本代表争いが、そのままオリンピックでの金メダル獲得にも繋がっていった例はいくらでも挙げることができる。

さてさて、そこで年末恒例の「今年の国内十大ニュース」。

一位はやっぱり「政権交代」でしょ。うむ、っつーうことは、ライバル政党間の熾烈な切磋琢磨でついに日本の政治も質が向上していく、ってな理屈になるわけだ。

いよっ、日本の未来は明るいぞ、イェ~イ! もうすぐトゥンジーに、クリスマスに、お正月。みんなで新年をワクワクしながら迎えよう。
ハッピー正月でーびる♡


Posted by 松本哲治 at 2009年12月24日10:50
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出会いと別れ

ひだまり通信12月号「百花繚乱日記」コラムより転載

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「出会いと別れ」

この「ひだまり通信」にはライフサポートを退職する社員のあいさつを
必ず載せるようにしているのだが、
それが読者の皆様にご心配をかけているという話を聞いた。
つまり、この退職者の欄を読んだ皆様が
ライフサポートはなんて退職者が多いのかと心配になるというのだ。
ご心配をかけて本当に申し訳ない話ではあるが、
それでも僕はこの「退職のごあいさつ」コーナーを無くすつもりは、今のところ、ない。

その理由は簡単で、在職期間や退職理由はともあれ、
誰でも必ずお客様(ご利用者)と接してきたのだから、
そのお客様に対して「お世話になりました」というごあいさつをすることは
仕事をしている者として最低限のエチケットだと思うからだ。

新聞報道などでもご存知のように、
確かに僕らの介護業界は離職率は高く、定着率は低い。
介護の仕事は、肉体的にきつく、夜勤もあれば休日・祝祭日も関係なく、
人間関係は濃密でいて、にもかかわらず給料は安いと、評判は決して良くない。
僕の知る限り、他のほとんどの事業所も同じような課題に悩み続けている。

それでも、一般の読者はそんな業界事情を知る者は少ないのだから、
職員がなかなか定着しないという、
ライフサポートにとって良くないイメージをわざわざ読者に与えるのはいかがなものか、
という指摘もあった。
確かにそのご指摘も分からないでもない。

しかし、それでも僕はあえてもう一度ここで伝えておきたい。

これは、僕らの評判が上がる下がるの話でもなければ、
(極論すれば)読者がどんな印象を抱くかの問題でもない。
これは、人と人とのあり方の問題なのだと思うのである。

人生は出会いと別れの繰り返しである。

共に過ごした時間も深さも関係もさまざまで、別れの理由もいろいろだろうが、
僕らは必ず全ての人との別れを迎える。
究極の別れ「死」が身近な介護の仕事だからこそ、
「退職」という別れでさえもきちんと、
お礼と感謝の思いを伝えて欲しいと願うのだ。

仕事上お世話になった関係者の皆様へ、
共に汗を流して働いた仲間たちへ、
そして、何よりもたくさんの教えと思い出を授けて下さった
利用者とその家族の皆様へ、
心を込めて感謝の気持ちを伝えて欲しいと願うのだ。

たかがお仕事、されどお仕事。

お客様との小さな別れの一つひとつを大切にすることで、
みんなの人生に素敵な次の出会いが待っていることを祈っている。


Posted by 松本哲治 at 2009年11月27日10:59
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働くということ

ひだまり通信11月号「百花繚乱日記」より転記

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「働くということ」

ある日、デイサービスえんにて
八〇歳になるSオバァが僕に向かって、

「仕事が忙しいことはいいことだよ。
人間は忙しくなくなったらパーになるよ」

と、クルクルパーの仕草をしながら説明してくれた。
入れ歯がなくてモグモグしている。

それから数日後、車のラジオから
武田鉄矢率いる海援隊の
「母に捧げるバラード」が流れてきた。
その歌詞の中に、
武田さんのお母さんが息子に話すセリフが出てくる。

「 働け、働け、働け、鉄矢。
 働いて、働いて、働きぬいて、
 休みたいとか遊びたいとかそんな事お前、
 いっぺんでも思うてみろ
 そん時は そん時は死ね。
 それが人間ぞ、それが男ぞ 」

この曲がヒットしていたのは
僕が七才の頃であるが、
チョー久しぶりにこの曲を聴いて、
僕はジーンときてしまった。
武田さんのお母さんが
息子に何を伝えたかったのかが、
今ならわかるような気がするのである。

Sさんの言う
「人間は忙しくなくなったらパーになる」発言も、
この曲のセリフの意味も、四二歳になった今なら、
やっとわかるようになった気がしみじみとするのである。

「人は何のために働くのか?」

食べていくため、お金を稼ぐためか。
お金に困らなくなれば働く必要は無くなるのか。

最近、人間にとって仕事とはどういうことかを
もう一度考えさせられている。

幸せになるために働くのではなく、
働いているということ自体がもう既に幸せなことなのだと、
まだまだぼんやりとではあるが、
最近僕は思えるようにもなった。

五体満足で健康で仕事ができること、
雇ってくれる会社があり給料をもらえること、
愛し養うべき家族がいること、
僕らを必要とするお客様がいること、
同じ目標に向かって一緒に
仕事をしている大切な仲間がいること、
そして、平和であること。

自分が幸せになるために働くのではなく、
誰かを幸せにするために働くことが、
最も自分自身を幸福に変えることも、
少しずつではあるが分かるようになってきた。

「この世の不幸の全ては、自分の幸福を願うことに由来する。
この世の幸福の全ては、誰かの幸福を願うことから始まる」

よ~く見てみると確かに「働く」とは、
「人のために動く」とも読めるなぁ。
さて、Sさんの入れ歯でも洗ってみようか・・・。


Posted by 松本哲治 at 2009年10月27日20:05
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高速道路無料化に反対します。

ひだまり通信10月号コラム「百花繚乱日記」より転載

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「高速道路無料化に反対します」

 先月号の「高速道路で歩行者天国を」は意外に反響が大きくて、是非、新聞に投稿を、という人もいる(たぶん、こんな「ひだまり通信」なんかでチマチマ書いてなんかいないで、という意味なのだろう)。そこで、調子こいて、高速道路ネタをもう一本。
 
 先日の総選挙で民主党が政権を取ることになったが、民主党関係者の皆様へ是非考えていただきたいのが、あの公約「高速道路無料化」である。僕は全国の高速道路事情をよく知らないので、あくまでも「沖縄県においては」ということを前置きしておく。
 
 オッホン。えぇ、私は高速道路無料化には反対です。

 理由は、車社会を助長する政策だからです。無料化は新たな渋滞を生み、かえって多くの別問題が発生します。やるなら、むしろ環境負荷の小さなハイブリッド車や軽のみの無料化の方がいいでしょう。
 
 仮に全国で無料化しても沖縄だけでも残すべきだと思いますが、ただこんな政策はありだと思います。それは、高速料金を定額化(例えば500円)することです。入る時に500円払えば、どこで出てもいい、というシステムです。これならより遠くから通う方が経済的に得になるで、人口の分散化を行えます。

 僕の知人にやんばる出身で那覇でお務めの方がいますが、やんばるでは両親が大きな実家を持て余している一方で、遠すぎて通勤できないので本人は那覇で小さなアパートを借りて住んでいるというのです。おかしな話だと思いませんか?日本では、バスも電車も高速道路も近ければ近いほど安いという料金体系なので、ますます一極集中化して、地価は高騰し、渋滞は悪化します。近くに住む方が得するからです。遠くから通う方が得をする政策をして、人口の分散を図るべきです。この定額制を導入すれば、北部で家を建てる人や、工場やオフィスを中北部へ移転する企業が出てくるでしょう。

 今後の重要な政策は、本島縦貫鉄軌道(LRT)の導入です。高速道路料金は定額500円、LRTとモノレールは定額200円(乗り換え自由)にします。採算性を考える必要はありません。なぜならこれは環境政策であると同時に産業政策であり、これこそ一番の北部振興策なのですから。

 鳩山総理がCO2の25%削減を掲げる今がチャンスです。ただし、無料にしないのは、サービスの質が低下するからです。人件費だけは売上連動式にすれば、より多くの人に利用してもらうため職員も一生懸命努力することでしょう


Posted by 松本哲治 at 2009年09月27日06:42
Comments(0)コラム:百花繚乱日記