2007年08月31日

あと997,394,910円

定期的なココロ基金の通帳UPです。





ご支援・ご寄付頂いた方、ありがとうございました。
お振込みなされた方は、ご確認ください。

現在、2,605,190円!
目標金額10億まで、
あと約9億9千7百万円なり
日の出 

 

2007年08月29日

利用者からの贈り物


先日、ある利用者(介護の業界ではお客様を利用者と呼ぶ、言いか悪いかは別として・・・)の方が、
小さなひまわりをプレゼントしてくれた。

この方は、40代の若い男性だが、パーキンソン病という名の難病とたたかっている。
僕らが関わった最初の頃は、いろいろなことがあって落ち込んでいた。
自暴自棄にもなり、病気が発端となってさまざまな問題が生じて、心まで病んでしまう悪循環の中にいた。

その彼が、少しづつ落ち着いて、自分を取り戻し、もう一度前向きに人生を再び歩み始めている。

そんな彼が、先日、訪問介護で訪れたヘルパーさんにこのお花をプレゼントしてくれた。
自分で育てて、プレゼントしているらしい。

頂いたヘルパーさんは、「涙が出そうだった」と事務所で報告してくれた。
「人生が真っ暗だ」とまで言っていた彼に、満面の笑顔が戻るその日まで、
一緒にお手伝いできますように・・・。

(スタッフからの報告でした) 

Posted by お松 at 11:23Comments(3)TrackBack(0)
 

2007年08月27日

本日は晴天なり


今日は沖縄お盆の3日目(最終日)ウークイの日である。
沖縄地方は、素晴らしい青空が広がっている。

我が社ライフサポートは、ウークイは休日なので、事務所はガラ~ンとしている。

とは言っても、デイサービスえんもヘルパーステーションりんも営業しているので、
彼らは後日代休をとる形だが、事務所と居宅(ケアマネ)はお休みなもんだから
静かなオフィスである。

僕はみんながいるワイワイとした事務所も好きだが、休みの日の事務所も好きなのだ。
静かにいろいろ考えながら、普段はできない整理や片付け、溜まったデスクワークなどをこなす。

今日ウークイの日もしっかり事務所にいることで、万が一のトラブルに備えることもできるし、
休んでいる人がしっかりウークイに専念できるようにとの思いもある。

ついつい自分のこと、もっと言えば、自分よりも家族のことが後回しになっていく。
「妻も子どもたちも両親も、家族が一番最後」
が、ライフサポートを興してこの5年間で我が家では普通になってしまった。

決していいことではないが、やはり何かを犠牲にしなければできなかったとも思っている。

でも、いつまでもそうするつもりもない。
あきらめるつもりもない。
これは順番の問題ではなくて、工夫と愛情の問題でもある。

普通のサラリーマン家庭やマイホームパパにはなれないけれども、
選択と集中と工夫と深い愛情で、僕なりの夫、父になれたら、と思う。

よぉ~し、今日は早く帰ろうダッシュ 

Posted by お松 at 11:15Comments(3)TrackBack(0)
 

2007年08月21日

横綱朝青龍問題

横綱朝青龍問題がマスコミをにぎわすようになって久しい。

あまり関心がある方ではないが、最近の動きが
ちょっと気になり始めたので、ここで僕の意見を書いておきたい。

これは僕の個人的意見だからどうでもいいことかもしれないけど、
あえて、はっきりと言い切っておきたい。

正当な反論は大いに結構ですので、どうぞ。

僕は今の相撲協会や親方やマスコミや
ひょっとすると多くの日本人の反応はまずいと思う。

完全に論理性を失い、感情で流されていると思う。
これは日本人が、あるいは、ある種の集団が持つ怖い部分で
今こそ冷静に分析して、判断していくことが求められると思う。

僕には日本の国技を侮辱したわがまま外国人を、
日本人としてのプライドをかけていじめて懲らしめているようにしか見えない。

そこには理性も客観性も冷静さもなく、あるのは
「今こそ、目に物を見せてやれ」
という感情だけである。

まず、今やるべきことは、彼を帰国させることである。

その上で、再び横綱として迎えるのか迎えないのか、
もう一度土俵に登らせるのかどうかを、
こちらが判断するだけのことである。

彼が国技をなめた男だったのかどうかも、
彼の病気が何なのかも、
彼の病気が本当なのか仮病なのかも、
彼が反省しているのかしていないのかも、

彼の帰国とは何の関係もないことである。

彼が病気ならすぐ帰国させるべきである。
仮病でも彼が望むなら帰国させるべきである。

これは国際法上に規定された外国人労働者としての基本的権利である。

その上で、どう判断するかは、我々の問題である。

彼が仮病なら、反省していないなら、横綱をやめてもらえばいい。
本当かどうかわからなくても、どうでもいい。
こちら側で判断すればよい。

こちら側の「横綱」としての品格に合わないというなら
堂々と説明してやめてもらえばいい。
相撲とは、日本という国とはこういうものだと、
堂々と胸を張って説明してやめてもらえばいい。

たった、それだけのことだ。

にもかかわらず、帰国を認めないのは、本末転倒だ。

海外で病気した時の孤独感はやったものしかわからない。
それが心の病気ならなおさらのことだ。

故郷で家族の近くでの療養を望むのは、基本的人権に他ならない。

それなのに、反省するまで帰国させず、
日本での治療を強要することは国際的にもまずい。

これって、見方を変えれば、
泣きべそかいている奴をみんなで取り囲んで、
「まだまだ反省がたりないんだよ」
「俺たちの前で謝るまで帰さないぞ」
っていじめてるのと一緒だよ。

もう一度、はっきりと申し上げておく。

ここに多くの国民が気づき、
修正していく力がなければ、
この国から「いじめ」は無くならない。 

Posted by お松 at 10:20Comments(10)TrackBack(0)
 

2007年08月20日

幸福は小さきことに・・・

去る土曜日、
ゆったりとした時間が流れる事務所。

僕もゆっくりとトイレに入っていた。
うちの事務所にはトイレがひとつしかなく、男女兼用である。

また、トイレには「職場の教養」(わかる人はわかるはず)が
下げられているので、ゆっくりと腰掛けて読んでいた。

すると、突然、女性職員が入ってきた。

便座に座り「職場の教養」を持ったまま彼女と目が合った。

悲鳴と共に、出て行った。

「ノックもしないで入った彼女」が悪いのか?

「カギもかけずに入った私」が悪いのか?

ひとつしかトイレのない小さな事務所で起きた悲劇(喜劇)、
逆だったらどうなったのだろうと思う。

男女別々のトイレがある大きな事務所や会社に
お勤めのみなさんへ。

トイレにゆっくりと入ることができる

それは実に幸せなことなのである。

幸福、それは小さきことに宿るのである。 

Posted by お松 at 11:41Comments(4)TrackBack(0)
 

2007年08月15日

髪がうす・・・

最近、更に髪が薄くなったと感じるガ-ン

でも、人は必ず
「そうでもないよぉ。まだまだ大丈夫だよぉ」
と言う(言ってくれる)。

しかし、それを素直に聞き入れられない。

短く切ると薄くて地肌が見えすぎてしまう。

伸ばすと、髪が細くてコシ(強さ)がないので、
力なくベロッと垂れてしまう。

風が吹けばバラバラになり、雨に濡れればベタッとなる。

そこで、僕は本気で
リーブ21にチャレンジしてみようかと思っている。

あの和田アキコと島田伸介のCMを見る度に、
騙されたと思ってやってみようかと思ってしまう。
騙されても構わないと思ってしまうぐすん

誰か、リーブ21をやっている人、情報求むキョロキョロ

この可憐な乙女心、わかってもらえるかなぁ、読者のみなさんに。 

Posted by お松 at 15:52Comments(7)TrackBack(0)
 

2007年08月13日

新月

今月8月の新月は今日です。
朝8:03から始まっています。
叶えたい夢がある方は、
16:03までに紙に書き出しておくこと。

何のこっちゃはてな

信じる人は、やってみようハート 

Posted by お松 at 14:55Comments(1)TrackBack(0)
 

2007年08月09日

百花繚乱日記8月号

そうそう、「ひだまり通信」を送っていない方から問い合わせを頂いた。
ブログでも、百花繚乱日記をUPしろ、とのことでした。
今月は忘れていましたので、遅くなりましたが・・・、どうぞスイカ

ひだまり通信8月号より「百花繚乱日記」より

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「丹田(たんでん)」

「いつもニコニコ穏やかに、それでも、揺れないぶれない自分」
それが、元旦に立てた今年のテーマである。

生きていれば、どうしても悲しいことや悔しいこと、
頭に来ることが起こるし、落ち込んだり凹んだり嫌な思いをしたりする。

しかし、僕のこれまでの経験から、それらをなくそうとあがいてもあまり減らない気がする。
それならば、同じことが起こっても動じない自分を創る方が効果的である、うぬ。
そこで、松本式、心を、腹を、ちょっと古い言い方なら「丹田」を鍛える方法をご紹介しよう。

まずは、「瞑想」である。
夜寝る前に電気を消して、静かな曲を流しながら行う。僕の場合、ストレッチ体操と組み合わせて、ゆっくり静かに息を吐きながら行うのがよい。厳格な意味での瞑想ではないが、ゆっくりと今日一日を振り返りながら自分自身の心を見つめる、と言うか、自分と対話する。そして、最後に胡坐(あぐら)を組んで座り、体の動きも、一切の思考も止める。頭を空っぽにして、全ての感覚・知覚を消していく。ところが、そうすると眠りに落ちてしまう。そこで、あわててベッドに潜り込むのだ。実はまだ僕には「瞑想」と「ニーブイ(ウトウトすること)」がうまく区別できていない。

 次に、「掃除」である。
僕は台所の片付け(食器洗い)が担当だが、これを黙々とやる。毎日毎日、愚痴らず、心を込めて、黙ってやる。最近はトイレと風呂場も(いつの間にか)担当になった(させられた)が、これもトイレの神様にお礼を言いながら、黙々とやる。ただひたすらにキレイになる喜びだけを感じながら、感謝しながら行う。家事全般にこれが当てはまる。家事だけでも心はかなり鍛えられる。家事、すなわち、鍛錬なのである。

そして、最後の三つ目は、「ウォーキング、ジョギング、水泳」である。
これも、いろいろと思いを馳せながら自分自身と会話しながらやる。人が見ると、ブツブツと独り言を言いながら歩いている変な人に見えるかもしれないが、第一、同時に出来ることと言えばそれ以外ないし、ある意味、一人になること、それ自体が目的とも言える。特に水泳はいい。バザッーと水に入ると無重力の音のない世界の中でたった一人になれる。あまりボッーとしてると、後ろの人に注意されたり、時々溺れそうになるのだが。

キーワードは「一人」だ。

不思議なもので、筋肉同様、心も強くなるのが実感できるのである。
いつもニコニコ穏やかな奴の丹田は侮れない。
そうだ、腹筋も鍛えなくっちゃ。 

Posted by お松 at 16:55Comments(1)TrackBack(0)
 

2007年08月07日

福祉・介護のお仕事

最近、友人の子どもが
「大きくなったらおじいちゃんやおばあちゃんのお世話をする仕事がしたい」
と言ったらしい。まだ小学生なのでそれを「介護」と言うことまではわかってないらしい。

それを聞いた友人は僕にこう言った。
「介護の仕事がしたいなんて、優しい子にそだったものだなぁと嬉しかった。
でも、現実的に考えると、介護なんて仕事、辛くて大変だろうなぁと心配になった」

親として素直な意見だろうなと思った。

先日もテレビCMの中で
「介護の仕事をしていて未来が見えない」(正確なセリフじゃないけれど)
そんなニュアンスの意見広告があった。

同じ介護の業界にいて、特に経営者として、
とても複雑な気持ちになる。

事実、介護や福祉の仕事は楽な仕事じゃない。
給料もけっして高くない。
賞与なんてもらっている人の方が少ない業界である。

彼らが将来に不安を感じることもわからなくもない。
介護を一生の生業として、
結婚して家庭を持ち子どもたちを育て上げていくことが
安心してできるのだろうかという不安。

介護や福祉の仕事は確かに自己成長できる素晴らしい誇りある仕事だと思う。
でも、夜勤もある肉体労働であることも事実であり、
人間関係も複雑な難しい仕事でもある。
体を壊す危険も、心を壊す危険も高い、ハイリスキーな仕事とも言える。

それでいて、金銭的に恵まれているわけでもない。

そんな業界にいて、
何を間違ったか、自分が「経営者」自身になってしまって、
日々、悶々と悩み続ける。

福祉や介護の仕事に
多くの若者が憧れ、目指し、一生の仕事として選んでくれるような業界にしたいと思う。

福祉や介護の仕事に従事している者が、
幸せになり、輝き、誇りに思ってくれるような業界にしたいと願う。

彼らが自分の息子や娘たちに
「介護や福祉の仕事をしなさい」
と胸を張って、自信を持って、目を輝かせて勧められるような業界にしたいと願う。

その責任の一端を僕も担っている。
ちょっと重いなぁ、しんどいなぁと感じる時もあるけれど、
僕はその細く険しい道のりをライフサポートから始めたいと思う。

まずはライフサポートの仲間たちから始めていきたいと思う。
彼らが笑顔で

「だから介護はやめられない」

と言って笑える日まで。

「だから(ライフサポート)はやめられない」

だと、もっといいけれど・・・ラブ 

Posted by お松 at 09:57Comments(4)TrackBack(0)
 

2007年08月01日

選挙雑感

選挙が終わった。結果についてはそれぞれの人がそれぞれに考えるだろう。

投票日の前の週にちょっとあったやり取りについて書いておこう。

文字通り今回の参院選は天下分け目の決戦と呼ばれ、比較的注目を集めた選挙だった。
そんな中、僕の友人たちで、

「今度の選挙、開票時に集まって、開票速報観ながら、酒でも飲んで盛り上がろうぜ!」

という企画があった。そこで、友人の一人に僕も電話をして誘った。
すると、その友人が意外なことを言った。

「僕は参加しない」と。どうした体調でも悪いのかと問う僕に彼は、

「考え方や主義主張はどうあれ、立候補者はみんな、少なくとも自分の人生を賭けて戦っている。
候補者を個人的に知っているだけに、その戦いを酒の肴に盛り上がることなど俺にはできない」

と答えた。「スポーツ観戦とは違うんだ」そうだ。

僕は、頭を「ハンマーでガツンと」と言えば大袈裟だが、
「げんこつでコツンと」叩かれたような気がした。

政治は政(まつりごと)だと古くから呼ばれているので、興味本位であったとしても、
有権者が選挙に関心を示すことは大切なことだと思っている。
それが、例え、飲み屋での話題だったり、酒の肴であってとしても、だ。

でも、彼が言ったように、誰かがこの国の未来を思い、期間や程度の差こそあれ、
人生の大きな部分を賭けて戦っていることを忘れていたような気がする。

町中に顔写真を張り出し、いろいろな誹謗中傷にも耐えながら、
一人ひとりに頭を下げている人たちがいることに思いを馳せることを忘れていたような気がする。

彼のレベルまではいけないにしても、
僕も選挙や政治を生身の人間の営みのして捉える視点を持たなくては、と思った夜だった。 

Posted by お松 at 12:18Comments(2)TrackBack(0)