2007年12月29日
ありがとう2007
昨日、会社の大掃除をみんなで終えて、
今日が仕事収め&忘年会である。
キレイになり、少しだけ模様替えした事務所で
今年を振り返っている。
「人生は加速する」
どこかで聞いた言葉だが、年々早くなっていく時間を体感している。
いつものことだが、今年もあっという間に過ぎ去った。
この法則に従えば、来年は今年よりももっと早く過ぎ去ることになる。
ちょっと怖い気もするが・・・。
とにかく、今年は僕にとって変化の年だった。
どんな変化かと言えば、いろいろなことが落ち着き始めた1年だった。
まず、会社がだいぶ落ち着いてきた感じがある。
もちろん、まだまだなのであるが、
少なくとも起業して以来のドタバタの、滅茶苦茶の、トゲトゲの、
「立ち止まるヒマもなく、振り返る余裕もなく、
落し物に気がついても拾うこともできないほどブっ飛ばし続けてきた日々」から、
少しだけゆとりが出てきた1年だったと思う。
設立5周年記念イベントを無事に終えて、6年目に入ったこともあるだろう。
現役ケアマネジャーの一線を離れ、経営を仕事の中心に据えることができたこともあるだろう。
しかし、何より、職員一人ひとりが大きく成長し、自覚や責任感が生まれたことが大きい。
本当に職員たちが素晴らしく変化してきている。
おそらく、当事者である彼らはあまり感じていないと思うが、
横で見ている僕には、本当に彼らの変化がよくわかる。
一人ひとりが面白いほどに成長している。
だからこそ、僕は会社を留守にできた。
一ヶ月以上、僕が会社を留守にしても、大きな問題が生じないなんて、
これはスゴイことだと僕は思う。
もちろん、いろいろなトラブルはあったらしいが、
それもちっちゃい、ちっちゃい!
深刻なことは何もない。
「成長し続ける者は悩み続ける」
これと同じで、
「自分たちで考えるチームは、揉め続ける」のだ。
この揉め事を、衝突や摩擦を、避けてはいけない。
これを乗り越えた向こうにしか本当のチームは生まれない。
相手を信じているからこそ、言い合えるからだ。
そして、チームワークなくして、よい介護は絶対にありえない。
本当に素晴らしいチームに向かって彼らは歩き始めている。
彼らは否定するかもしれないけれど、何でも当事者は自覚がないものなのだ・・・。
来年は「ねずみ」年だそうだ。
60年に一度の素晴らしい節目らしい。
きっと何かが始まるに違いない。
大きな何かが始まるに違いない。
大きな変化も楽しんでいきたい。
その日に備えて、自分を信じて、
家族や仲間に感謝して、
今を、ここを、感じながら生きていこう。
今年もブログをお読みになってくださった多くの方に感謝。
みなさまの来年が素敵な日で満たされますように
今日が仕事収め&忘年会である。
キレイになり、少しだけ模様替えした事務所で
今年を振り返っている。
「人生は加速する」
どこかで聞いた言葉だが、年々早くなっていく時間を体感している。
いつものことだが、今年もあっという間に過ぎ去った。
この法則に従えば、来年は今年よりももっと早く過ぎ去ることになる。
ちょっと怖い気もするが・・・。
とにかく、今年は僕にとって変化の年だった。
どんな変化かと言えば、いろいろなことが落ち着き始めた1年だった。
まず、会社がだいぶ落ち着いてきた感じがある。
もちろん、まだまだなのであるが、
少なくとも起業して以来のドタバタの、滅茶苦茶の、トゲトゲの、
「立ち止まるヒマもなく、振り返る余裕もなく、
落し物に気がついても拾うこともできないほどブっ飛ばし続けてきた日々」から、
少しだけゆとりが出てきた1年だったと思う。
設立5周年記念イベントを無事に終えて、6年目に入ったこともあるだろう。
現役ケアマネジャーの一線を離れ、経営を仕事の中心に据えることができたこともあるだろう。
しかし、何より、職員一人ひとりが大きく成長し、自覚や責任感が生まれたことが大きい。
本当に職員たちが素晴らしく変化してきている。
おそらく、当事者である彼らはあまり感じていないと思うが、
横で見ている僕には、本当に彼らの変化がよくわかる。
一人ひとりが面白いほどに成長している。
だからこそ、僕は会社を留守にできた。
一ヶ月以上、僕が会社を留守にしても、大きな問題が生じないなんて、
これはスゴイことだと僕は思う。
もちろん、いろいろなトラブルはあったらしいが、
それもちっちゃい、ちっちゃい!
深刻なことは何もない。
「成長し続ける者は悩み続ける」
これと同じで、
「自分たちで考えるチームは、揉め続ける」のだ。
この揉め事を、衝突や摩擦を、避けてはいけない。
これを乗り越えた向こうにしか本当のチームは生まれない。
相手を信じているからこそ、言い合えるからだ。
そして、チームワークなくして、よい介護は絶対にありえない。
本当に素晴らしいチームに向かって彼らは歩き始めている。
彼らは否定するかもしれないけれど、何でも当事者は自覚がないものなのだ・・・。
来年は「ねずみ」年だそうだ。
60年に一度の素晴らしい節目らしい。
きっと何かが始まるに違いない。
大きな何かが始まるに違いない。
大きな変化も楽しんでいきたい。
その日に備えて、自分を信じて、
家族や仲間に感謝して、
今を、ここを、感じながら生きていこう。
今年もブログをお読みになってくださった多くの方に感謝。
みなさまの来年が素敵な日で満たされますように
2007年12月26日
井の頭公園にて
(写真はとあるよく晴れた日曜日の午後)
東京研修センターでの1ヶ月超の日々を振り返る時、なぜか目に浮かぶのは、井の頭公園の風景である。
研修中、僕は一人でよく近所の井の頭公園をジョギングしていた。
木の葉が赤く色づく晩秋から、はらはらと少しづつ落葉していく初冬への季節の移り変わりは、
沖縄では味わえないものであり、その美しさはちょっと僕の言葉ではうまく表現できない。
次から次へと課題を課される集団研修の中に身を置く自分にとっては、
朝もやの残る公園を息を白く吐きながら一人走る時間は、
じっくりと自己を見つめる貴重な時間でもあった。
透き通るように澄んだ冷たい空気。
誰もいない道。
風に舞う落ち葉。
暖かな木漏れ日。
地面を赤く染める落ち葉。
それを踏む音、足が踏みしめる感触、膝が受ける衝撃。
右、左、右、左、・・・。
走っているのにボッーとしてくる感覚。
不思議な陶酔感。
生きていることの喜びよりも、
生かされていることの祝福に酔う感覚。
水面に輝く日のきらめきと、
頬に感じる木漏れ日のぬくもりと、
透明感のある美しい青空と
行きかう人たちと、
自分。
頭はボッーとしているのに、
足は大地をしっかりと知覚している。
誰が僕を導くのだろう。
どこへ僕を導くのだろう。
行き着くところまで行ってみよう、
このまま導かれるままに・・・。
ひとり、走る、自分・・・。
2007年12月25日
クリスマス・プレゼント
今朝、会社で朝礼を終えて早速仕事へ取り掛かろうとすると、
突然、職員のみなさんからサプライズのクリスマス・プレゼントが。
事務所の上履きと靴下とカードなどを、
僕と副代表の利津子さんと二人でいただきました。
ちょっとびっくりでうれしかったけど、
同時にちょっと恥ずかしくてうまくお礼が言えなかったので、
この場を借りて、
ありがとう

大事にしま~す
2007年12月20日
前期研修を終えて
約5週にもわたる研修を終えて(実際にはまだ終わったわけではなく、
1ヶ月の職場研修を経てもう一度2月に1週間の後期研修が残っている)、
ホッとしている。
家に帰って家族に会えるうれしさと、みんなと別れる寂しさを同時に感じている。
長く思える研修もあっという間に過ぎ去ってしまうので、
一日一日を大切にしようと研修当初から心がけてきたつもりだったが、
それでもやっぱりあっという間に最終日を迎えている。
大変だった講義もグループワークも実習も、何もかもが今となれば実に楽しかった思い出である。
今回の研修は実に素晴らしい日々だった、まだ終わったわけではないが・・・。
素晴らしい研修生仲間たちと素晴らしきスタッフたち。
誰もが僕にとって大切な仲間となった。
2月に再会するメンバーなので少々気恥ずかしい気もするが、
こんなクサイことを臆面もなく書けるようになったのも、間違いなく歳のせいだと思う。
40という人生の折り返し地点を過ぎてからは、
相手や周りにどう思われようが自分の気持ちを真っ直ぐに伝えられるようになってきたと思う。
特に「ありがとう」「ごめんなさい」「愛してる」やそれに付随する気持ちはストレートに伝えるようにしている。
「今日と同じように明日が来ること」は決して当たり前のことではないことだから。
と言いつつ、直接は言えなかったが、やっぱりみんなに感謝しているし、
出会えてよかったと思っているし、みんなが大好きである。
きっと迷惑だった人もいるだろうから少々すまなかったとも感じている。
さぁ、今度は自分の施設での挑戦が始まる。
風邪、インフルエンザ、ノロウイルス、飲みすぎ・食べすぎに気をつけて、
元気にパワーアップして、来年2月に再会するとしよう。お疲れ様でした
1ヶ月の職場研修を経てもう一度2月に1週間の後期研修が残っている)、
ホッとしている。
家に帰って家族に会えるうれしさと、みんなと別れる寂しさを同時に感じている。
長く思える研修もあっという間に過ぎ去ってしまうので、
一日一日を大切にしようと研修当初から心がけてきたつもりだったが、
それでもやっぱりあっという間に最終日を迎えている。
大変だった講義もグループワークも実習も、何もかもが今となれば実に楽しかった思い出である。
今回の研修は実に素晴らしい日々だった、まだ終わったわけではないが・・・。
素晴らしい研修生仲間たちと素晴らしきスタッフたち。
誰もが僕にとって大切な仲間となった。
2月に再会するメンバーなので少々気恥ずかしい気もするが、
こんなクサイことを臆面もなく書けるようになったのも、間違いなく歳のせいだと思う。
40という人生の折り返し地点を過ぎてからは、
相手や周りにどう思われようが自分の気持ちを真っ直ぐに伝えられるようになってきたと思う。
特に「ありがとう」「ごめんなさい」「愛してる」やそれに付随する気持ちはストレートに伝えるようにしている。
「今日と同じように明日が来ること」は決して当たり前のことではないことだから。
と言いつつ、直接は言えなかったが、やっぱりみんなに感謝しているし、
出会えてよかったと思っているし、みんなが大好きである。
きっと迷惑だった人もいるだろうから少々すまなかったとも感じている。
さぁ、今度は自分の施設での挑戦が始まる。
風邪、インフルエンザ、ノロウイルス、飲みすぎ・食べすぎに気をつけて、
元気にパワーアップして、来年2月に再会するとしよう。お疲れ様でした

2007年12月09日
家で暮らすということ
今、東京の研修所にいる。
ここで寝泊りしながら約1ヶ月の研修に参加している。
ここでの生活は何一つ不自由はない。
テレビ・トイレ・バス付き冷暖房完備の立派なシングルルーム。
週に一度のシーツ交換、お掃除も来てくれる。
食事も贅沢言わなけりゃ毎日あるし、パソコンもインターネットもプリンターも自由に使える。
洗濯機も乾燥機も無料で24時間使える。
研修内容もしっかりとお膳立てされているし、スタッフもいつも笑顔でサポートしてくれる。
同じ研修生たちもみんな愉快でいい奴ばかりで楽しく充実した毎日を過ごしている。
本当に何一つ不自由はない。
それでも、2週間を過ぎたあたりから無性に家に帰りたくなる。
家族が恋しくなる。
自宅のベッドで眠たくなる。
職場の仲間や友人たちに会いたくなる。
この帰りたくなる理由について、一人、夜中に考えている。
前にも書いたが、ここでの生活には何不自由を感じているわけではない。
週末は自由だし、東京の友人に会ったり、ちょっと遠出をしたりと、秋の東京ライフも楽しんでいる。
しかし、それでも、自宅が恋しいのはなぜなのだろう。
「そんなこと当たり前だろ、ここはお前のお家じゃないんだから・・・」
そうなんだよな、帰りたいのは普通で、当たり前で、当然のことなのだ、僕にとっても、いや、誰にとっても。
「お家に帰りたい」これは、施設や病院で暮らす人たちがよく口にする言葉だ。
僕らのような介護の仕事をしている人にとって、よく耳にする言葉だ。
でも、僕は本当にその言葉を「思い」として聞いてきただろうか。
その言葉を「願い」として「祈り」として、そして、時には「叫び」として受け止めてきただろうか。
研修所の部屋で、真っ暗で静かな部屋で、僕はもう一度、自分に問い直している。
このままで二度と帰れない自分の生活を想像してみる。
自分ならゾッとする。
誰がどれほど優しく明るく完璧に接してくれたとしても、僕の「帰りたい」という思いは変わらないだろう。
自宅に帰ること以外の一切全ての要求を施設側が受け入れたとしても、僕の心は満たされないだろう。
もちろん、中には自宅での生活よりも施設生活を選ぶ人もいる。
望みながらも、残念ながらどうしても家に帰れない事情の人もいる。
悲しいことだけど自宅自体が既にない人もいる。
でもね。
それでもね。
僕らはどれほど謙虚に彼らに接してきただろう。
「仕方がないね」
「だって、どうしようもないじゃん」
「面倒みてあげる」
「預かってあげている」
介護の仕事って、誇りのある仕事だけど、同時にとても悲しい仕事なんだと思う。
うまく伝えられないけど、この悲しみがわからなければ、本当のケアに近づけないような気がする。
この寂しさがわからないと謙虚にこの仕事に向かえない。
「帰す」ことができなくても、「帰れない」ことの途方もない孤独感に、心が共振できる自分でありたい。
「家に帰りたい」
「お家で暮らしたい」
そんな言葉の意味を、もう一度、一人考えている。
真夜中の真っ暗な部屋で、一人考えている。
この気持ちを考えるために、僕はここに導かれたのかもしれないと・・・。
ここで寝泊りしながら約1ヶ月の研修に参加している。
ここでの生活は何一つ不自由はない。
テレビ・トイレ・バス付き冷暖房完備の立派なシングルルーム。
週に一度のシーツ交換、お掃除も来てくれる。
食事も贅沢言わなけりゃ毎日あるし、パソコンもインターネットもプリンターも自由に使える。
洗濯機も乾燥機も無料で24時間使える。
研修内容もしっかりとお膳立てされているし、スタッフもいつも笑顔でサポートしてくれる。
同じ研修生たちもみんな愉快でいい奴ばかりで楽しく充実した毎日を過ごしている。
本当に何一つ不自由はない。
それでも、2週間を過ぎたあたりから無性に家に帰りたくなる。
家族が恋しくなる。
自宅のベッドで眠たくなる。
職場の仲間や友人たちに会いたくなる。
この帰りたくなる理由について、一人、夜中に考えている。
前にも書いたが、ここでの生活には何不自由を感じているわけではない。
週末は自由だし、東京の友人に会ったり、ちょっと遠出をしたりと、秋の東京ライフも楽しんでいる。
しかし、それでも、自宅が恋しいのはなぜなのだろう。
「そんなこと当たり前だろ、ここはお前のお家じゃないんだから・・・」
そうなんだよな、帰りたいのは普通で、当たり前で、当然のことなのだ、僕にとっても、いや、誰にとっても。
「お家に帰りたい」これは、施設や病院で暮らす人たちがよく口にする言葉だ。
僕らのような介護の仕事をしている人にとって、よく耳にする言葉だ。
でも、僕は本当にその言葉を「思い」として聞いてきただろうか。
その言葉を「願い」として「祈り」として、そして、時には「叫び」として受け止めてきただろうか。
研修所の部屋で、真っ暗で静かな部屋で、僕はもう一度、自分に問い直している。
このままで二度と帰れない自分の生活を想像してみる。
自分ならゾッとする。
誰がどれほど優しく明るく完璧に接してくれたとしても、僕の「帰りたい」という思いは変わらないだろう。
自宅に帰ること以外の一切全ての要求を施設側が受け入れたとしても、僕の心は満たされないだろう。
もちろん、中には自宅での生活よりも施設生活を選ぶ人もいる。
望みながらも、残念ながらどうしても家に帰れない事情の人もいる。
悲しいことだけど自宅自体が既にない人もいる。
でもね。
それでもね。
僕らはどれほど謙虚に彼らに接してきただろう。
「仕方がないね」
「だって、どうしようもないじゃん」
「面倒みてあげる」
「預かってあげている」
介護の仕事って、誇りのある仕事だけど、同時にとても悲しい仕事なんだと思う。
うまく伝えられないけど、この悲しみがわからなければ、本当のケアに近づけないような気がする。
この寂しさがわからないと謙虚にこの仕事に向かえない。
「帰す」ことができなくても、「帰れない」ことの途方もない孤独感に、心が共振できる自分でありたい。
「家に帰りたい」
「お家で暮らしたい」
そんな言葉の意味を、もう一度、一人考えている。
真夜中の真っ暗な部屋で、一人考えている。
この気持ちを考えるために、僕はここに導かれたのかもしれないと・・・。
2007年12月03日
那覇マラソン
那覇マラソン、完走しました
タイムは、5時間48分48秒。初めてのフルマラソン完走です。

東京で研修中にもかかわらず、週末トンボ帰りで参加しました。
フルマラソン走った後に、最終便で東京へ、宿舎に着いたのは夜中の12・30。
さすがにこれは疲れました(でも、これ以外に選択はなかったの、トホホ)。

実はこれが僕の走った後の右足。30キロ過ぎた頃から痛くて痛くて。
ゴール後にシューズを脱いで見てみると、右足の親指の爪が真っ黒(写真じゃよく見えないかな)。
小指も血豆が出来て靴が履けません
それで、東京までぞうりで帰りました。さすがにこの季節、東京でぞうりをはいている人は僕だけでした。
それでは、詳細はまたいつか
取り急ぎ、ご報告まで。(誰がなんと言っても、俺はがんばった~
)

タイムは、5時間48分48秒。初めてのフルマラソン完走です。
東京で研修中にもかかわらず、週末トンボ帰りで参加しました。
フルマラソン走った後に、最終便で東京へ、宿舎に着いたのは夜中の12・30。
さすがにこれは疲れました(でも、これ以外に選択はなかったの、トホホ)。
実はこれが僕の走った後の右足。30キロ過ぎた頃から痛くて痛くて。
ゴール後にシューズを脱いで見てみると、右足の親指の爪が真っ黒(写真じゃよく見えないかな)。
小指も血豆が出来て靴が履けません

それで、東京までぞうりで帰りました。さすがにこの季節、東京でぞうりをはいている人は僕だけでした。
それでは、詳細はまたいつか

取り急ぎ、ご報告まで。(誰がなんと言っても、俺はがんばった~
) 


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