53歳責任世代が浦添市の新しい明日を創る! 松本哲治「百花繚乱日記」ブログ

まつもとてつじのドタバタ市長奮闘記

市長就任半年中間報告③

当選後の主立った出来事を時系列に並べ、少しばかりの説明を加えておく。

<2月>
2月11日の就任直後から3月議会に向けての25年度予算案と所信表明演説の内容を執行部からレクチャーを受けて協議する。

<3月>
いよいよ生まれて初めての議会デビュー。そんな3月議会はまさにコテンパンにされた印象。初めて一緒に仕事をする執行部(部長)メンバーを従えて、空席の副市長席のとなりでポツンと一人座らされる孤独な議会だった。就任から1ヶ月の状態では「今後、関係者と協議を重ねて慎重に検討していく」としか答弁のしようがなく、しかしかといって、議会側もそう簡単に納得してくれるはずもなく、「検討市長!」「自分の考えはないのか!」のヤジでほとんどサンドバッグ状態。しかし、とにかく予算を通してもらわなくては仕事にならないわけで、何とかご理解頂いて予算案を通していただいた。
そんなの中でひときわ辛かったことは、「部長連中が陰でこう言っている、あぁ言っている」と言った類いのうわさ話をわざわざご丁寧にも毎日報告してくれる人がいたことだ。人はこうやって人間不信になっていくんだなぁと感じていた毎日だった。

この孤独な3月議会の最中にも同時並行で行われていたのが、人事異動である。毎日、代わる代わるいろんな人がいろんな提案(要求?)を突きつけてくるわけで、少ない知識をもとに人事案を作成しなくてはならず、ますます頭がおかしくなりそうな毎日だった。

とにもかくにも3月議会最終日。やっとのことで何とか予算を通していただき、無事(?)終了。人事も何とか発表までこじつける。

ところが、3月議会終了後は新メンバーによる議会が始まる。陰では会派を決める工作が活発化し、議長・副議長・監査を巡り熾烈な多数派工作が始まっていた。基本的に議会のことなので口を挟まないスタンスだったが、やはり市長は無関係との立場を許してはもらえなかった。30分刻みの過密スケジュールの一日を終えて、毎日さまざまな人と会って調整に時間を費やした。

<4月>
4月に入り、議長・副議長・監査も決まり、いよいよ次は不在の副市長と教育委員だと思ったところに、思わぬニュースが二つ飛び込んで来た。
一つは日米合同委員会にて嘉手納以南の米軍基地の返還時期が具体的に発表されることになった。寝耳に水の急なニュースにキャンプ・キンザー(牧港補給地区)を抱える我が浦添市もその対応に大あらわだった。
と、その時を同じくして、市内中学校での公金着服の事件が私にも報告され、新聞にも大きく取り上げられた。副市長と教育委員人事案の提出2日前というタイミングでの報道に、完全に臨時議会は吹き飛んだ。そして、人事案は否決。副市長不在、教育長不在の時が続く。

<5月>
5月に入ると、各種団体の総会の季節が来る。毎晩の如く総会と懇親会への出席依頼が舞い込む。就任後初の機会なのでできるだけ出席するようにしていたため、まさに分刻みのスケジュールになっていく。それに加えて、米軍基地再編計画と中学校公金着服事件への対応で大あらわ。さらには次の副市長人事案を巡る調整にますます忙しくなっていく。東京要請のピークも迎え、毎週上京する日々が続く。5月末の臨時議会にて、なんとか最終的に現副市長と教育委員(現教育長)の承認を議会よりいただく。

<6月>
気がつけば、6月議会がやって来た。議会の新メンバーをフルキャストの執行部で迎えることができる初めての定例議会。副市長と教育長のデビュー議会であり、いろいろあったが、こちらも何とか乗り切り、夏を迎える。

<7月>
7月に入り、いよいよ夏の大型イベント「浦添てだこ祭り」の準備が本格化。同時に公務員給与削減案に関しての労働組合との調整も始まり、外部からの政策アドバイザー(仮称)制度の成立に向けた調整も始まっている。相も変わらずマスコミにはいろいろ書かれ、身に覚えのない噂も後を絶たないが、あっという間の半年間、何とか元気で現在に至っている。つくづく感謝。

(つづく)


Posted by 松本哲治 at 2013年08月13日   19:11
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