53歳責任世代が浦添市の新しい明日を創る! 松本哲治「百花繚乱日記」ブログ

まつもとてつじのドタバタ市長奮闘記

議論好き

僕はもともと議論好きなのかもしれない。
でも、議論ってうまくやらないと喧嘩になっちゃうんだよね。

特に日本人は議論と喧嘩を履き違えているような気がする。

だから、ハッキリと意思表示をすると、傷ついたり、起こったり、泣いたりする人が出てくる。

だから、議論しなくなる。

すると、裏や影でいろいろ言う奴が出てくる。

すると、ますます、意思表示をするのが馬鹿馬鹿しくなってきて自分を抑えていく。

すると、自分がなくなり、自分が壊れていく。

こんな人が周りには多くいて、僕自身もそうだった。

でも、自分で自分を壊していくことほどバカげたことはない。

そこで、自分の心に正直に過ごすように心がけている。

だから、人がどう思おうがどうでもいいの。これは僕の人生だから。

さぁ、久しぶりに議論でもしてみようか。楽しみ、楽しみニコニコ


Posted by 松本哲治 at 2007年02月22日   09:36
Comments( 4 )
この記事へのコメント
全く同感です。
私もかなりの議論好きで、気まずい思いも随分しました。

最近は、議論と喧嘩をはき違えないとか(人間性の問題)、最低限の認識・理解を共有できているとか(能力の問題)、幾つかの前提が成立する場合に限って議論するよう心がけています。

ただし、それが正しいかどうかは、また別。
相手をもっと信じて、真剣に議論をふっかけるべきなのかも。

松本さんの文面に思わずハッとし、考えさせられました。
Posted by 青木孝之 at 2007年02月22日 11:24
青木様、

「相手をもっと信じて、真剣に議論をふっかける」

そうなんですよ、相手を信じているからこそ、意見が違うことさえもお互いに認め合った大人同士でないと議論さえ難しくなりますね。

大人のふっかけに応えてくれるといいのですが、その前に終わっちゃう場合も多いんですよね、寂しいですが。

自分を認めさせる、相手をねじ込めるための議論ではなくて、お互いの意見の相違を確かめ合える、そこからの新しい出発の基点となる場としての議論にしたいものです。
Posted by お松 at 2007年02月22日 12:41
ご無沙汰してました。岩手花巻帰りのいっくです。

私のような根性なしの人間は、確かに『議論』などと言われるとそこからは逃げてしまうかもしれません。

だけれど、息子達のように障害という『個性』を授かった人達に関することでは、行政だろうが市長だろうが、奥歯ガタガタ言わせるくらいの『議論』する覚悟はいつだってあります。

息子に『親』という役割を授かった以上は、生きている限りずっと戦っていくつもりです。

お気に入りに入れていただいて、ありがとうございます!
私も入れさせていただきますね!
Posted by いっく at 2007年02月22日 16:32
いっく様、
「お気に入り」の使い方がわからず(忘れて)、そのままになってますね。今度タイトルに変えておきます。ありがとう。
Posted by お松 at 2007年02月23日 10:42
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