決定することの苦しみ
広報うらそえ9月号の市長コラム「ハイサイ、こちら市長室!」より転載
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「決定することの苦しみ」
市長になってからの半年間、「決定することの苦しみ」を毎日味わっている。日々、職員がたくさんの決定事項を持って来ては決断を迫ってくる。もちろん、些細な決定は簡単であるが、さすがに重要なことを決定することはしんどい作業である。なぜなら市長が下す決定は多くの市民へ影響が出るからである。一見、決定権を持っていることは楽しそうなことでもあるが、「決める」ことの重さに苦しいことの方がむしろ多いかもしれない。
多数決に馴染まない決定も現実には存在する。世論を二分するような難しいテーマも決定しなくてはならない。どっちにもそれなりの背景や理屈や事情があり、どちらにも相当数の支持者がいる。難しいテーマだからこそ世論がまとまらないわけだ。どっちを選んでも喝采と怒号の両方に見舞われる。決定することは賞賛と非難の両方を受けることであり、実に苦しいことだ。しかし、これが市長の仕事。避けては通れまい。
そんな時大切にしたいのが、自分の心に正直にありたいと言うこと。一人で静かな時間を作り目を閉じて自分に問いかける。これはお前の心が望んでいることかと。そして、その選択は自己の利益ではなく市民にとって良いことかどうかということ。どんなに正解を乞うても天は答えてくれない。だから最後は自らで決めるしかない。
市長のみならず、市議のみなさんも、全ての政治家が同じ立場なのだ。だからこそ、市民のみなさんにはそんなことを考えながら政治に関心を持っていただきたい。なぜなら政治の最終決定者は実は政治家ではなく、市民、そう、あなた自身なのだから。
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