恩人

松本哲治

2009年07月01日 11:04


昨日の琉球新報に僕が大変お世話になった人が載っていてビックリした。

今から約15年前、僕のアメリカ留学が決まった時のことだ。
当時、僕はカリフォルニア大学バークレー校への入学が決まって喜んだのもつかの間、
良く考えてみると、カリフォルニアには知人も友人もいない。
貧乏学生の僕にとって、もちろん渡米すら初めてで右も左もわからない。
学費や生活費だけでも心配な僕には、とりあえず入学の前に渡米して下調べなどのゆとりも、もちろん、ない。

いきなりサンフランシスコ空港に降り立って、さて、そこからどうしたものだろうかと、
渡米の日が近づくにつれて不安になっていた。

そんな不安を大学の恩師である江上教授(現・早稲田大学教授)に相談すると、
ゼミの先輩がサンフランシスコに住んでいるからと、彼に連絡を入れてくれた。

ゼミの先輩とは言え、年齢的にもずっと上でもちろん面識も何もない。

そんな僕を、サンフランシスコ空港まで迎えに来てくれたのが、今回新聞に載っている
当銘由盛先輩だった。

お互いに顔も知らない同士なのに、江上先生のご尽力と「江上ゼミの後輩」というだけで、
大変お世話になった。

今でもサンフランシスコ空港で「松本さん」と書かれた紙を持って待っていてくれた
当銘先輩をよく覚えている。

しかも、その足で大学まで案内してくれたり、
アパートが決まるまで自宅に滞在させていただいたりした。

アパートに移り住んだ後も、僕が卒業して帰国するまでずっと何かとお世話になった。
奥様にも大変お世話になり、僕の妻はベビー・シッターをしていたので、
子どもたちとも大変仲良くなった。

当銘先輩は単身渡米してから、本当に苦労に苦労を重ねながら、
現在の「すし蘭」を築き上げて、今回の表彰となった。

英語も話せなかった沖縄の一青年が、すし職人でもないのに、
行列ができるほどの有名すし屋をカリフォルニアで経営している。

書きたいことはいくらでもあるが、要は、僕のアメリカでの恩人である。

当銘先輩との出会いなくして、今の自分はない。

僕もサンフランシスコに行く時には必ず「すし蘭」に立ち寄り、
自宅にもお招きいただいている。

今度はいつ行けるだろうか?

遠い沖縄ではあるが、心からの祝福をお送りしたい。

記事の詳細はこちらから