見えない誰かに支えられて

松本哲治

2009年01月23日 20:03

最近では一般家庭にも広く普及しているこのお水。
僕らライフサポートでも事務所とデイサービスの2か所で使っている。



ご存じだと思うが、このお水、配達してもらったら1缶1000円だが、
自分でお水を買いに行くと1缶360円なのだ。

で、僕らライフサポートは当然自分たちでお水を買いに行く。
まとめて買いに行くので9本にもなるのである。

先月、ふとしたことから僕が買いに行くことになった。
それで、今月も僕が昨日買いに行かされた。
何となく僕が一番暇そうだからというのが理由らしい

ところが、これが結構重労働なのだ

これ1缶で20キロくらいだろうか。
少なくともなかなか女性ではしんどいだろう。
(うちの女性職員は、こんなときだけ女性であることを強調する)

重い水缶を汗をかきかき運びながら気がついたことは、
僕がいつも当たり前に飲んでいた事務所の水も、
誰かが汗を流しながら準備していたのだということ。

自分が飲んでいる時には気がつかないくせに、
自分がお水を買ってくるようになると、
「みんな、感謝しろよ」
などと思ってしまうのである。

人間(俺か?)なんて、なんてジコチューなんだろう

考えてみりゃ、見えない多くの誰かに支えられて僕らは生きている

具体的な一人ひとりの顔が浮かばなくても、
いつも感謝を忘れずにいたいものだ。

これからもできるだけ「お水の買出し」は
僕の仕事にすることにしよう

みんながみんなの仕事にそれぞれ専念できるように。
よし、筋トレと思えば、一石二鳥だ。

だっはっはっは