お前がやれ!

松本哲治

2007年01月18日 17:08

「ひだまり通信」のコラム「百花繚乱日記」より転載。

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お前がやれ!

僕には三人の子どもがいるが、先日、ある人に
「子どもたちには、どんな大人になり、どんな人生を送って欲しいか?」
と質問された。

大切なことだが、時間に流されながらそれほど深く考えもせずに今日まで過ごしてきた。

そこで、ちょっと真剣に考えてみた。
まず「元気で健康に過ごして欲しい」と思った。
が、事故や病気なんてなりたくてなる人はいないし、病気になったからと言って人間の価値が下がるわけでもないから、必ずしも「元気で健康である」必要はないかと考えた。
「あればラッキー」程度の条件かな。

次に、「お金で苦労はして欲しくないなぁ」と考えた。
貧乏生活は屈辱的で惨めでホント辛いからね。「金の切れ目が縁の切れ目」で、借金背負って何かと苦労して欲しくないなぁと思った。しかし、お金も本質的な幸せとは微妙な関係だし、お金持ちにならなくてもそこそこ生活してくれればいいっかぁ、お金で自分を売って欲しくないとも考えると、お金もやっぱり「あればラッキー」程度でしかないことになった。

次に、「自分の夢をしっかり持って楽しく人生を生きて欲しい」と考えた。
しかし、この「夢」っちゅうやつが曲者で、取り扱いを誤ると一生自分探しばっかりしているおかしな夢追い人にもなりかねない。

そこで、「周りのみんなから愛される人になって欲しい」と考えた。
しかし、多くの人達から慕われ愛されることは、確かにうれしい快感ではあるかもしれないが、本当の幸せとは、人からどう思われるか・されるかではなく、自分がどう思うか・するかという主体的なことであるとも考えた。

結局、あれこれ頭に浮かぶことを考えながら、本当に大切なものだけを残して、余分なものを落として、削いで、突き詰めて、煮詰めていくと、最終的に
「誰かを愛することの本当の喜びを知っている優しい人になって欲しい」
と思った。そうだよ、あれこれ要らないよ、これだけで素敵な人生じゃないかと思い至った。

ところが、ここまで考えて、ハッとした。

もし、僕の親もそう思っているとしたら、僕は何を求めて生きているだろう。
健康? お金? 成功? 名声? 社会的評価? そして、愛されること?
 自分の子どもには「そんなもの大切じゃないよ」と言いつつ、自分は求めるわけ? 
ホント、頭悪くて自分勝手だね、人間って(俺かぁ?)。

「本当の幸せは、愛されることじゃなくて、愛すること」
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