53歳責任世代が浦添市の新しい明日を創る! 松本哲治「百花繚乱日記」ブログ

まつもとてつじのドタバタ市長奮闘記

感謝

「感謝」という言葉について考える時、僕はどうしても当時のあの何とも言えない感覚が蘇ってくる。

今からずいぶんと昔の話になるが、僕が介護の仕事を始めた頃のことだ。先輩介護職員から一通りの介護を学び、いざ一人で任された夜勤のことだ。介護ケアにも食事介助や移乗などいろいろあるが、その一つに陰部洗浄というケアがある。文字通り、失禁などで汚れた陰部をきれいに洗う仕事であり、現場では略して陰洗(いんせん)と呼ばれている。同じ陰部をきれいに洗うと言っても、風呂場で行える入浴介助とは全く違う。寝たきりなどで自由に動けない人をベッドの上で横に寝かせたままオムツ交換を伴う陰部の洗浄なのだ。

ある晩、先輩介護士から「そろそろ独りでできるわよね」と笑顔とは裏腹な、半ば強制的な指示にケア独り立ちを覚悟しなくてはならない夜だった。私がお願いされたのは、80歳を超えた要介護度5の寝たきりの女性だった。目を閉じ、コミュニケーションはほとんど取れず、ガリガリに痩せ、拘縮のため手足を縮め小さくなってしまった女性だった。

女性の身体ケアは女性スタッフが行うのが理想であるが、慢性的な人手不足の介護現場にそんな余裕はなかった。会話をしたこともない他人の女性の陰部を私が洗わなくてはならない。いくら寝たきりの高齢者とは言え、彼女に意識があるなら間違いなく拒否をしただろう。彼女からすれば、いくら自分で出来ないからと言って、どこのどいつかわからない若造男に自らの陰部を触れられるのはたまらなく苦痛だったに違いない。すまない気持ちでいっぱいであったが、僕たちに選択はなかった。

薄暗い居室でわずかな仕切りとなるカーテンを引き、二人きりになった。彼女は目を閉じたまま動かない。覚悟を決めたのか、諦めたのか、心の中でやめてと叫んでいるのか、僕にはわからない。静かに時間だけが流れ、僕も覚悟をしなくてはならなかった。これから行う手順を頭の中で反芻しながら、洗浄に使う道具も効率的にベッドサイドに配置した。そして何度も自分に言い聞かせた。手際よく順序を間違えずに優しくきれいにしてさしあげること、可能な限り短時間で終わらせること、そして、声かけ(ケアの手順や内容を説明しながら行うこと)を丁寧に行うこと。そして、深呼吸を一つして、布団をめくり上げ彼女の浴衣の前を解いた。

汚れを残さず丁寧にきれいにしようと思えば、それだけ彼女の最も見られたくはないであろう身体の一部をしっかりと見て触れなければならなかった。彼女が自分の母だったら、妻だったら、娘だったら、と想像すると赤の他人の僕が行わなければならない介護という名の罪深き行為に気が遠くなるようだった。

対象をモノではなく一人の人間として敬意を持って行うこと。介護現場で何度も聞かされた教えであるが、一人の女性として認識すればするほど逆に自分の心が萎えていった。

無我夢中の行為中に彼女に声かけできた言葉は結局、「ごめんなさいね」「すみませんね」の二つだけだった。それをひたすら繰り返すしかなかったあの夜。彼女の固く閉じた瞳と口と、そして強く握りしめていた拳。申し訳なさとさっさと終わらせなければならない焦りとで、結局、謝ってばかりで終わってしまった。あの夜、詫びてばかりの初めてのひとり陰部洗浄を終えると、僕は「ありがとうございました」と頭を下げた。カーテンを開けると、彼女の表情も少し穏やかに緩んでみえた。あぁ彼女はちゃんと全てを知っているんだと思った瞬間、「こちらこそありがとう」そんな彼女の声が聞こえたような気がして安堵したものだった。

感謝。それは「謝りたくなる感じ」とも読むことが出来る。介護や福祉の現場では今日もさまざまな「感謝」が交わされている。私はその現場から人として大切なことの多くを学んだ。いや、学ばせて頂いた。これからも感謝を忘れずに生きていきたいと思う。それが、彼女との短い出会いの意味なのだから。




Posted by 松本哲治 at 2017年06月06日   09:59
Comments( 0 )
[公開]
[非公開]
※管理人のみ管理画面から確認することができます。
[公開]
[公開]
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。